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福井地方裁判所 昭和49年(わ)220号 判決 1980年11月25日

本籍並びに住居 《省略》

国鉄職員 石川進

大正一一年四月二六日生

本籍 《省略》

住居 《省略》

国鉄職員 辻邦義

昭和一七年一月一日生

右両名に対する各業務上過失致死傷被告事件について、当裁判所は、検察官谷本和雄出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人両名はいずれも無罪。

理由

第一本件公訴事実

被告人石川進は、日本国有鉄道新潟鉄道管理局新潟車掌区客扱専務車掌として列車に乗務し、旅客の接遇、列車内の秩序・環境の保持及び列車の運転に関する業務等の業務に、被告人辻邦義は、同金沢鉄道管理局金沢運転所電気機関士として、電気機関車の運転等の業務に、それぞれ従事し、列車火災等異常の事態が発生した際は、互いに一致協力して列車運転の安全をはかるとともに、多数の乗客の生命等の安全のため、臨機かつ万全の措置を講ずべき職責を有するものであるところ、右各被告人がそれぞれ専務車掌又は機関士として乗務した昭和四七年一一月五日午後一〇時一〇分大阪駅発北陸本線経由青森駅行一五両編成の下り普通急行「きたぐに」五〇一列車が、翌六日午前一時七分ころ、敦賀駅・南今庄駅間の敦賀市川北樫曲から福井県南条郡今庄町南今庄にまたがる全長約一三・八七キロメートルの北陸トンネルに進入した。そのころ、同列車一一両目の食堂車(三号車)喫煙室ソファー下部から出火しているのを発見した乗客が、同一時九分ころ一三両目車両(一号車)乗務員室にいた被告人石川に右火災の発生を急報した。

一  被告人石川は、右急報を受けるや、出火現場を一見した後、自ら車掌弁を作動して停車のための措置を講ずるとともに、被告人辻に対し列車の緊急停止手配を行い、同一時一三分ころトンネル敦賀口から約五・三キロメートルのトンネル内に列車を停車させた。

右停車時の火勢は、食堂車喫煙室ソファー下部の金網箇所から、煙とともにわずかに火炎が吹き出している程度で、いまだ運転には支障はなく、乗務員等が協力して消火に当たれば鎮火させうる状況にあったので、消火活動を継続しながら列車の運転を再開すれば、無事トンネルを抜け出せる状況にある一方、いたずらにトンネル内に列車を滞留させれば、出火車両より発生する熱気と濃煙等のため、また加えて車両の炎上による架線の溶断、き電(送電)停止等により列車が走行不能に陥り、乗客等が逃げ場を失い、いよいよ増大する熱気と濃煙等のため、多数の乗客等が死傷する重大な危険があった。

被告人石川としては、このような場合専務車掌として、他の乗務員等を指揮督励して極力消火に努めるとともに、機関士と連絡をとり一致協力して一刻も早くトンネルを脱出する措置を講ずべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、火源の状況を確認することなく、食堂車従業員二、三名とともに、わずか数分間、車載消火器一、二本と食堂車内の水を洗罐に二、三杯使用して消火作業をしたのみでこれを取りやめ、折から出火現場に駆けつけた被告人辻から、出火車両の切離を主張されるや、右火災の状況からみていまだその必要がなく、消火活動を継続しつつ速かに列車の運転を再開してトンネルを脱出すべきであったのにこれを強調せず、同被告人の右主張に安易に同調して、引続き消火活動を行うための措置を何ら講ずることなく、乗務員に対し列車の切離作業を命じ、暗闇の上り勾配地点という悪条件下で、不用意にも例車の切離作業を開始し、食堂車とその後部車両(二号車)との切離に一〇分余を費やしたうえ、引続き食堂車とその前部車両(四号車)との切離作業に移って、急停車後二〇分余を徒過し、かつ、切離作業中消火活動を一切怠ったため、前記喫煙室内の燃焼が進行して煙は激しさを加え、右第二次の切離作業も困難となり、そのままの状態で推移すれば乗客の生命・身体に直接危険が及ぶ事態となった。右のように緊迫した危険事態になったので、直ちに切離作業を打切り火災車両を連結したまま列車の運転を再開し、一刻も早くトンネル内から脱出すべく、被告人辻と打合せのうえ、一致協力して所要の措置を講ずべきであるのに拘らず、これを怠ったため、被告人辻において、依然として食堂車の孤立切離に固執し、同一時三九分ころ、食堂車を含む前部列車を七〇数メートル前進させて再停車し再び切離にかかったが、その際、被告人石川としては、事態がさらに緊迫していたため切離作業を打切り、直ちに列車を発進させるよう強く主張すべきであったのに拘らず、何ら明確な意思を表明しなかったため、被告人辻において前同様の悪条件下にある同地点でさらに四号車とその前部車両(五号車)との切離作業を継続し、一〇数分を徒過するうち食堂車が炎上し、架線の地気により同一時五二分ころ、き電停止の事態を招来させて列車を走行不態の状態に陥れるに致り、

二  被告人辻は、前記のとおり、被告人石川から列車の緊急停止手配を受け直ちに非常制動措置をとり、同一時一三分ころ同列車を北陸トンネル内に停車させた後、出火現場に赴いたのであるが、その際の火勢は、食堂車従業員等の消火活動により、一時火炎がおさまりただ煙の発生がおとろえていない程度で、いまだ運転には支障はなく、乗務員等が協力して消火に当たれば鎮火させうる状況にあったので、消火活動を継続しながら列車の運転を再開すれば、無事トンネルを抜け出せる状況にある一方、いたずらにトンネル内に列車を滞留させれば、前記のとおり多数の乗客等が死傷する重大な危険があった。

被告人辻としては、このような場合、被告人石川等と一致協力して極力消火に努めるべく、同被告人に対し消火活動を継続するよう強調するとともに、その消火活動を一時同被告人等にゆだね、直ちに列車の運転を再開してトンネルを脱出すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、現場の状況判断を誤り、被告人石川に対し、火災車両の切離を主張し、同被告人をしてこれに同調させ、引続き消火活動を行うための措置を何ら講ずることなく、前記のとおりの悪条件下で不用意にも列車切離作業をさせたため、前記のとおり急停車後二〇分余を徒過し、かつ、その間消火活動を一切怠ったため、激しさを加えた濃煙により前記第二次切離作業も困難となり、そのままの状態で推移すれば乗客の生命・身体に直接危険が及ぶ事態となった。

右のように緊迫した危険事態になったのであるから、被告人辻としては、火災車両を連結したまま列車の運転を再開し、一刻も早くトンネルから脱出すべく、被告人石川と打合せのうえ、一致協力して所要の措置を講ずべきであるのに拘らず、これを怠り、依然として食堂車の孤立切離に固執し、同一時三九分ころ食堂車を含む前部列車を七〇数メートル前進させて再停車し切離にかかったが、この段階においては事態がさらに緊迫していたため、切離作業を打切り直ちに列車を発進すべきであったのに拘らず、重ねて状況判断を誤り、前同様の悪条件下にある同地点でさらに四・五号車間の切離を試みて一〇数分を徒過したため、食堂車が炎上し、架線の地気により同一時五二分ころ、き電停止の事態を招来させて列車を走行不能の状態に陥れるに至った。

以上被告人両名の各業務上の過失の競合により、多数の乗客等を長時間にわたり熱気と濃煙及び有毒ガスの充満した暗闇の同トンネル内に閉じこめ、よって乗客及び乗務員のうち別表(一)記載のとおり森田光信ほか二九名を、同日同トンネル内等において一酸化炭素中毒等により死亡させ、別表(二)記載のとおり黒田義鈴ほか五六八名に対し、同日同トンネル内において、治療約三日ないし一年六か月以上を要するいわゆる北陸トンネル災害症等の傷害を負わせたものである。

第二当裁判所の認定した事実

一  被告人両名の地位及び経歴

1  被告人石川

《証拠省略》によれば、次のとおり認められる。

被告人石川は、昭和一二年三月、福島県下の尋常高等小学校を卒業し、同一五年四月、新潟鉄道局野沢駅に試傭員として入り、一時兵役に就いたが、除隊後復職し、転轍手、列車手、荷扱手、車掌見習を経て、同三五年一〇月、日本国有鉄道(以下国鉄という)新潟鉄道管理局(以下新鉄局という)新津車掌区車掌、同四一年四月、同新潟車掌区専務車掌となり、同四六年ころから普通急行「越後」に乗務して後記北陸ずい道をしばしば通過していたが、乗務掛等の乗務する寝台車を連結した夜行列車の乗務経験は、大阪・青森駅間を走行する普通急行「きたぐに」で新潟・大阪駅間を二往復したのみであり、後記「きたぐに」への乗務は、その二往復目の復路であった。なお、これまでに、いわゆる責任事故を起こしたことはなかった。

2  被告人辻

《証拠省略》によれば、次のとおり認められる。

被告人辻は、昭和三五年三月、金沢市内の高等学校を卒業し、同年八月、国鉄金沢鉄道管理局(以下金鉄局という)金沢機関区に臨時雇用員として採用され、同三六年四月、整備掛として正式採用となり、その後約四年間蒸気機関車の機関助士をしたのち、同四二年一一月から翌四三年一月までの間金沢鉄道学園第二一回特別機関助士科において修学し、同四四年九月、金鉄局金沢運転所電気機関助士となり、同四五年三月、機関士科入学資格認定試験(A)に合格して同年一〇月一三日より五か月間金沢鉄道学園電気機関士科において運転理論、電気機関車の構造及び運転に関する各種規程等を習得し、二か月間の機関士見習期間を経て、同四六年八月、電気機関士登用実務試験に合格し、金沢運転所電気機関士となったもので、後記北陸ずい道を含む北陸本線区間を乗務していた。なお、同被告人も、これまでに、いわゆる責任事故を起こしたことはなかった。

二  昭和四七年一一月五日午後一〇時一〇分大阪駅発下り普通急行「きたぐに」五〇一列車の列車編成及び乗務員編成等

列車編成図

押収してある北陸本線列車ダイヤ表一部によると、昭和四七年一一月五日午後一〇時一〇分大阪駅発青森駅行き下り普通急行「きたぐに」五〇一列車(以下「きたぐに」という)は、米原駅(同駅発車予定時刻は翌六日午前零時一〇分)を経て北陸本線に入り、敦賀、新潟等の各駅を経由して青森駅へと向かうもので、敦賀駅の発車予定時刻は、同六日午前一時二分三〇秒となっていたこと、《証拠省略》によれば、同列車は、上記列車編成図のとおり、機関車のほか、普通客車七両、寝台車五両及び食堂車、郵便車、荷物車各一両の全一五両で編成され、乗客総定員数は八〇四名、機関車を除いた各車両の長さはいずれも約二〇メートル、機関車から最後部の荷物車までの延長は約三二〇メートルであったことがそれぞれ認められる。

《証拠省略》によると、次の事実が認められる。

「きたぐに」の敦賀駅発車時における列車(客扱)乗務員、動力車乗務員(以下両者を乗務員という)、警乗公安職員、食堂車従業員の各編成は左表のとおりであり、このほかに、荷物車及び郵便車にもそれぞれ関係職員が乗務していた。また、同駅発車時における乗客総数は約七六〇名であった。

このうち、被告人石川をはじめとする列車乗務員は、同月四日、同編成で青森駅発上り普通急行「きたぐに」五〇二列車の新潟・大阪駅間を乗務しており、「きたぐに」にはその復路として始発の大阪駅より乗務し(乗務区間は新潟駅まで)、また、佐藤、牛腸の両公安職員は米原駅から警乗していたが、被告人辻をはじめとする動力車乗務員は、敦賀・金沢駅間を当日の乗務区間としていたため、敦賀駅から「きたぐに」に乗務したものであった。「きたぐに」に乗務した動力車乗務員、列車乗務員、公安職員は、それぞれ所属局を異にするため全く面識はなく、また、所属部局より個々的に列車の乗務を命じられるため、動力者乗務員にあっては乗務する列車乗務員の員数及び公安職員の警乗の有無も分からず、列車乗務員にあっても公安職員の警乗の有無の連絡を受けているだけで、動力車乗務員の員数を知らなかった。

(乗務員等編成表)

所属

職種

氏名

担当車両

動力車

乗務員

金鉄局金沢運転所

指導機関士

作田勝治

機関士

被告人 辻邦義

機関車

機関助士

尾山孝熙

列車

(客扱)

乗務員

新鉄局新潟車掌区

専務車掌

被告人 石川進

機関車・荷物車

郵便車を除く全車両

乗務指導掛

広瀬芳雄

一〇、一一号車

乗務掛

小林正二

専務車掌補助

阿部恒晴

一二、一三号車

伊藤孝平

九号車

鉄道公安

職員

新潟第二公安室

公安班長

佐藤久平

全車両

公安員

牛腸良司

(株)日本食堂青森営業所

食堂車従業員

田沢与治ほか

男子二名・女子五名

食堂車

三  被告人両名及び各乗務員並びに鉄道公安職員の職務権限等

押収してある鉄道法規類抄(第3編職員)一冊及び同鉄道法規類抄(旧法規)一冊によれば、標記乗務員らの職務内容に関しては、「営業関係職員の職制及び服務の基準」(昭和三七年、総裁達三六三((以下「営業職員基準」という)))、「運転関係職員の職制及び服務の基準」(昭和三一年、総裁達八三二((以下「運転職員基準」という)))及び「鉄道公安職員基本規程」(昭和三九年、総裁達一六〇)の各規程の存在することが認められ、これらの規定によれば、以下のとおり認められる。

1  被告人石川

専務車掌としての被告人石川の主な職務内容は、(イ) 旅客の接遇、総合案内、座席の調整及び運用並びに車内用の乗車券類の販売、(ロ) 列車の秩序維持及び環境の保持並びに列車食堂営業等の指導、(ハ) 荷物輸送業務の処理、(ニ) 列車の運転に関する業務であった(「営業職員基準」九条)。このうち、(ロ)の列車食堂営業等の指導とは、国鉄が食堂営業者に対して有する監督権から、個個の食堂車の営業について、専務車掌に一般的な指導権を与えていたものと考えられ、右指導内容については具体性に欠けるところはあったものの、少なくとも、食堂車内で事故の発生した際には、食堂車従業員に対し、専務車掌の指示に従うように協力を求め得ることの根拠規定となるものであり、また、《証拠省略》によれば、(ニ)の列車の運転に関する業務とは、具体的には、列車の出発に際しての点検、列車監視、非常時における制動機の取扱い、非常時における列車出発の合図を指すものであることが認められる。

2  被告人辻

電気機関士としての被告人辻の主な職務内容は、(イ) 電気機関車の運転、運転整備、運転に関する技術業務、(ロ) 乗務員及び電気機関車の運用補助であった(「運転職員基準」五条)。

3  その他の乗務員及び鉄道公安職員

(一) 指導機関士

機関士のうち各鉄道管理局長から特に命じられて動力車乗務員の技術指導を行い(「運転職員基準」五条)、なお、《証拠省略》によれば、優等列車及び走行距離が一三〇キロメートルを超える列車など一定の基準により機関車に添乗することが認められる。

(二) 電気機関助士

主に、(イ) 電気機関車の注油、(ロ) 暖房用気かんの取扱い、(ハ) 電気機関士の職務補助を職務内容としていた(「運転職員基準」五条)。

(三) 乗務掛

主に、(イ) 寝台車旅客の接遇、案内及び整理並びに旅客乗務に関する専務車掌の補助、(ロ) 寝台の取扱い及びこれに付帯する業務、(ハ) 荷物の積卸し及び整理並びに荷物業務に関する専務車掌等の職務補助を職務内容としていた(「営業職員基準」九条)。

(四) 乗務指導掛

主に、(イ) 乗務掛の業務の調整及び指導、(ロ) 乗務掛の職務を職務内容としていた(「営業職員基準」九条)。

(五) 鉄道公安職員

旅客、荷主及び公衆の生命、身体及び財産の保護に任じ(「鉄道公安職員基本規程」三条)、主に(イ) 施設及び車両の特殊警備、(ロ) 旅客公衆の秩序維持、(ハ) 運輸に係る不正行為の防止及び調査、(ニ) 荷物事故の防止及び調査、(ホ) その他不正行為の防止等を職務内容としていた(同規程四条)。

4  各乗務員間及び鉄道公安職員間における指揮命令系統

各動力車乗務員間、各列車乗務員間、各鉄道公安職員間においては、それぞれ前項掲記の規程により指揮命令関係が定められ、機関士は機関助士を(「運転職員規準」八条)、専務車掌は乗務指導掛及び乗務掛を(「営業職員規準」一〇条)、鉄道公安班長は鉄道公安員を(「鉄道公安職員基本規程」六条)各指揮命令する権限が与えられていたが、機関士、専務車掌、公安班長間における指揮命令関係については何らの規定も設けられておらず、ただ、前掲押収してある法規類抄(第3編職員)からその存在が認められる日本国有鉄道就業規則五条の二及び「安全の確保に関する規程」(昭和三九年総裁達一五一)綱領四、一七条一項、一八条などによれば、列車の運転に関係する従事員は、安全の確保、あるいは、異常事態の回避にあたって、職責を超えて一致協力すべき義務のあることが規定されていた。

四  国鉄北陸ずい道の位置、構造、付帯設備等

《証拠省略》によれば、次のとおり認められる。

国鉄北陸本線米原・直江津駅間は、大正二年四月に全線開通したが、第二次世界大戦後、輸送需要が急激に増加してきたことから、国鉄は、輸送力の増強、近代化対策の一環として、昭和三二年四月、冬期の豪雪とともに一〇〇〇分の二五という急勾配のため、同線中最大の難所とされてきた福井県敦賀・今庄間の木の芽峠を境とした南条山地に、線路増設、勾配改良、電化の三問題を一挙に解決する長大トンネルの掘削案を決定し、約四年五か月にわたる工事を経て同三七年六月、同県敦賀市北樫曲から同県南条郡今庄町南今庄にまたがる延長一三・八七キロメートルの北陸ずい道(以下北陸トンネルという)を開通させるに至った。当時同トンネルの延長は世界第五位、我が国最長のもので、同四七年一一月当時においても、新幹線六甲トンネルについで我が国では二番目の長大トンネルであった。同トンネルの下り線入口(以下敦賀口という)は、米原駅を起点として四九・九三五キロメートル、敦賀駅より二・〇八五キロメートルの地点に位置し、トンネル内は、敦賀口から一一・九八四キロメートルの地点まではほぼ一〇〇〇分の一一・五の上り勾配、同地点以降は下り勾配となり、下り線出口(以下今庄口という)より今庄駅(南今庄駅は簡易駅)までは一〇・〇六キロメートルの距離にあった。

トンネル内の構造及び付帯設備の主なものは次のとおりである(別紙図面(一))。

(イ)  トンネル内部はほぼ半円形をなし、床面幅員は約七・七五六メートルで、上り、下り各線のレールが敷設され、その道床は敦賀口より一〇〇メートルの地点からコンクリート舗装され、両線間の中央部分も、同地点から道床部分より〇・三一メートル低位して幅一・四三メートルの平坦なコンクリート舗装面となっており、その地下には、幅〇・六メートル、深さ一メートルの排水溝が敦賀口から七・〇六五キロメートルの地点まで敷設され、トンネル内の出水を集めて敦賀口側へ排水するとともにトンネル内の洗浄用水として利用するようになっていた。下り線側壁際の幅〇・六五メートルの通路は平坦にコンクリート舗装されており、また、上り線側壁際の幅〇・六六メートルの通路は、〇・五メートル四方のコンクリート板が規則正しく並べられ、その下の二本の溝中には通信、信号等のケーブルが収納されていた。床面から天井中央部までの高さは約六・九五メートルで、天井中央部にはメッセンジャー線及びトロリー線を支える架動ビームが五〇もしくは五一メートル間隔で設置され、メッセンジャー線は床面から約五・二七ないし五・七六メートルの高さに架設され、トロリー線はメッセンジャー線からのハンガーにより床面から約五・一七メートルの高さで架設されていた。また、トンネル内壁面の漏水を集水して排水溝へ導くため、天井から壁面に添って一〇数メートル間隔で塩化ビニール製の漏水防止樋が取り付けられていた。

(ロ)  トンネル内の両側壁には、それぞれ、九〇〇メートル間隔で大型待避所(幅四・五メートル、奥行五メートル、高さ三・五メートル)が合計三一個所、三〇〇メートル間隔で中型待避所(幅三メートル、奥行二メートル、高さ二・五メートル)が合計六二箇所、三〇メートル間隔で小型待避所(幅一・五メートル、奥行一・五メートル、高さ二メートル)が合計八四一箇所設置されていた。

(ハ)  トンネル内から隣接駅への通信設備としては、上り線側壁の大型並びに中型各待避所内に携帯電話機を接続する携帯電話機接続端子箱(以下T・Bという)が設置されているほか、敦賀口より七・四〇三キロメートルの地点には常設電話機一個が設置されていた。

(ニ)  トンネル内の照明設備は、上り線側壁に約二〇メートル間隔で床面より一・九四メートルの高さに四〇ワットの白色螢光燈が一本ずつ、大型待避所内の奥正面、中型待避所内の敦賀口側内壁に三〇ワットの白色螢光燈が一本ずつ設置されており、その点滅スイッチは、上り線側では約四五〇メートル間隔、下り線側では約九〇〇メートル間隔で、各側壁に一個又は二個を一組として設置されており、いずれも次のスイッチまでの区間の照明を点滅できる仕組みになっていたが、昭和四七年一一月当時においては、右螢光燈の照明が機関士の視野を横切り、運転の妨げになることから一切点燈されていなかった。

(ホ)  トンネル内の信号は、上下線とも敦賀口から七・四〇三キロメートルの地点に木の芽場内信号機があり、また、これを境としてその前後に閉そく信号機が上下線ともに二基ずつ設置され、上り線における敦賀口から木の芽場内信号機までの二基の閉そく信号機の設置位置は、敦賀口より一・八一キロメートル(上り二号)、同四・六〇一キロメートル(上り三号)の各地点であった。

(ヘ)  換気及び消火を目的とした設備はトンネル内には格別設けられておらず、トンネル掘削の際に仮設された二本の斜坑(樫曲斜坑((敦賀口より約二・五キロメートル))、葉原斜坑((敦賀口より約四・七キロメートル)))と一本の立坑(板取立坑((敦賀口より約九・八キロメートル)))が事実上トンネル内における換気の役割を果し、また、消火設備に関しても、前記のトンネル中央部の排水溝を流れる水を消火用水として利用することが期待される程度であった。なお、トンネル内部には避難口などは設けられておらず、右斜坑の出入口も施錠されていた。

五  「きたぐに」食堂車(オシ一七二〇一八)の構造、設備、前後車両との連結状況及び可燃物総量等

《証拠省略》によれば、以下の事実を認めることができる。

1  食堂車の構造及び設備

「きたぐに」の三号車を構成していた食堂車(オシ一七二〇一八((以下食堂車という)))は、昭和五年、国鉄大宮工場において寝台車として製造され、同三五年、国鉄高砂工場において台車だけを残して食堂車に改造されたもので、外枠は延長一九・五メートル、車幅二・九〇三メートル、車輪から天井突端(換気口)までの高さ四・〇二メートルであった。車内は、別紙図面(二)の②のとおり、喫煙室、乗務員室、食堂、調理室及び通路に大別され、喫煙室は食堂利用車の待機所、乗務員室は食堂車従業員の更衣室として利用されており、各部の照明施設並びに取り付け窓の個数等の状況は左表のとおりであった(各窓の取り付け位置は別紙図面(二)の①、③のとおり)。

(照明設備)

種類

深夜燈(個)

(二〇ワット)

螢光燈(個)

(二〇ワット)

螢光燈(個)

(一〇ワット)

その他

場所

喫煙室

乗務員室

1(但し四〇ワット)

食堂

22

調理室

殺菌燈(一六ワット・四個)

通路

(取り付け窓)

場所

個数

寸法

形態

縦(メートル)

横(メートル)

喫煙室

〇・九三

一・〇八

二段開閉式 ガラス入

乗務員室

〇・九一

〇・七

食堂

一〇

〇・九二

一・二

固定式(開閉不能) ガラス入

調理室

〇・七四

〇・七一

二段開閉式 ガラス入

通路

〇・九三

一・〇八

その他

〇・九一

〇・七一

車内の暖房設備は、従来からの蒸気暖房のほかに、昭和三七年、電気暖房器二〇〇ボルト一キロワットのもの一一台、〇・七五キロワットのもの二台が四回路に分けて取り付けられ、その通電操作は、食堂と調理室の境の内壁に設置された配電盤内にある各回路のノーヒューズブレーカーによって行うほか、機関車、一三号車、一一号車、八号車、七号車、郵便車及び荷物車には、列車全体の電気暖房器への通電を切断することのできる非常用スイッチが備え付けられていた。

喫煙室内の構造は別紙図面(三)のとおりで、幅約一・九メートル、奥行約二・一メートル、床面から天井までの高さ約二・〇一メートルとなっており、対面する乗務員室及びその横の冷房用配電盤室とは、壁及び扉で仕切られていた。喫煙室と車外を仕切る貫通戸(以下喫煙室後部引き戸という)は、幅約〇・九八メートル、高さ二・〇六メートルの金属製引き戸で、車端中央部に位置し、その中央上段には、幅約〇・四二メートル、高さ約〇・八三メートルのすりガラスがゴム製ガラス押えで固定されていた。また、食堂との仕切り中央部には、幅約〇・五八メートル、高さ約一・九五メートルの半透明硬質塩化ビニール製押し戸があり、食堂側から喫煙室に押し開けるようになっていた。喫煙室の右側には、床面から約〇・四一メートルの高さで内壁に沿って幅約〇・五メートルのコの字型長椅子が設けられ、両側座席下床面には蒸気暖房用放熱管が、正面座席下床面には、内壁から約〇・一七メートル離れて、幅約〇・一一五メートル、長さ約一・二メートルの鉄板上に二本ずつ平行に四本の発熱体を置いた総熱量一キロワットの電気暖房器が備え付けられ、その通電操作は、前記配電盤内の向かって右側から一番目と二番目のブレーカーによって行い、双方が「入」の場合は二回路一キロワット、どちらか一方が「入」の場合は一回路五〇〇ワットが通電される仕組みとなっていた。右長椅子の足脚部は高さ約〇・二九メートルの鉄製の蹴込み板で囲われ、同蹴込み板には縦約一センチメートル、横約四センチメートルの長方形の放熱用小孔が等間隔にあけられ、同椅子の前部には、高さ約〇・六メートルの足で固定された縦約〇・三一メートル、横約〇・六一メートルのテーブル一個が備え付けられていた。喫煙室内の換気設備としては、天井部に縦約〇・七九メートル、横約〇・三一メートルの金属製送風口があり、天井から突き出ている突手を操作することによって、屋根裏空間部分と喫煙室内の空気を貫流できる仕組みとなっており、また、右長椅子下と食堂との空気を常時貫流させる縦約〇・二六メートル、横約〇・六二メートルの通風口が喫煙室と食堂を仕切る壁の下部に一個設けられていた(なお、同様の通風口が乗務員室と食堂とを仕切る壁にも一個設けられていた。)。

食堂は、幅約二・七七メートル、奥行約九・二一メートル、床面から天井までの高さ約二・二六メートルで、両側に五個ずつの固定テーブルが置かれ、天井部には、直径約〇・五メートルの金属製整風盤五個が等間隔に設置され、同整風盤には調節装置がないため、常時空気が食堂と屋根裏部分を貫流する仕組みになっていた。

調理室は幅約二・一二メートル、奥行約五・一五メートルであったが、室内は調理台、流し、吊棚等が設置されていたため狭小で、調理台と流しの間は約〇・三メートル、床面から吊棚までの高さは約一・六一メートルとなっていた。調理用水は、食堂車備え付けのタンク(大小二個で合計一六〇〇リットルの容量を有し、大阪駅発車前に宮原客車区において満水にされる。)から流しに設けられている二箇所(二個ずつ合計四個、他に手洗い用が一個)の給水栓から汲み、右各箇所の給水栓からは、それぞれ最大限、一〇リットルの水を約三〇秒で汲むことができた。調理室の食堂部分及び通路に通ずる各扉は、いずれも幅約〇・五八メートル、高さ約一・九二メートルの金属製開き戸で、扉中央部上段に幅約〇・四四メートル、高さ約〇・八五メートルのすりガラスがゴム製ガラス押えで固定されていた。

通路の幅は約〇・六四五メートルで、車外に通ずる貫通戸(以下食堂車前部引き戸という)は、喫煙室後部引き戸とほぼ同様の寸法、形態、材質のもので、右引き戸から調理室までは、幅約一・〇二メートル、長さ約一・五七メートルの通路となっていた。

2  食堂車と二号車、四号車との各連結状況

食堂車と前後車両との各連結状況は別紙図面(二)の②のとおりで、喫煙室後部引き戸を開けると数十センチメートルの連結部をはさんで二号車の貫通戸(以下二号車前部引き戸という)となり、ついで幅約二・九メートル、奥行約〇・九メートルのデッキ(以下二号車前部デッキという)、客室部分へと続き、同デッキの両側には、手動式押し戸の乗降口があった。また、食堂車前部引き戸を開けると、同様に数十センチメートルの連結部をはさんで四号車の貫通戸(以下四号車後部引き戸という)となり、ついで幅約二・三メートル、奥行約二・一八メートルのデッキ(以下四号車後部デッキという)、客室部分へと続き、同デッキの両側には、洗面所及び手動式開き戸の乗降口があった。

3  食堂車の内装使用材料及び可燃物総量等

食堂車内の内装使用材料及び床面の構造材質は別紙図面(四)のとおりであり、また、同車両の可燃物の種類、総量は、別表(四)のとおり、ポリエステル樹脂化粧硬質繊維板一二五・六キログラムなど一九種類、二、六八三・二キログラムとなっていて、このうち喫煙室内の可燃物総量は一四九・二キログラムであった。

六  「きたぐに」の車載消火器の本数及びその性能

前掲井上の司法警察員調書、八田誠作成の捜査関係事項照会回答書、島田則鋭ほか一名作成の捜査報告書、プレスト産業株式会社作成の「プレスト強化液消火器1型取扱説明書」と題する小冊子の写し、日本国有鉄道JRS「車両用消火器」及び同「消火器(車両用強化液形)」の各写し(但し、前二者は被告人石川の関係についてのみ)によれば、以下の事実を認めることができる。

「きたぐに」の消火設備としては、左図のとおり、各車両に一本ないし二本、合計二四本の消火器が搭載されていた。

国鉄では、車両に搭載する消火器の構造、形状、性能等について規格を定め、定期的な検査により右規格に適合したものを車両に搭載することとしていたが、「きたぐに」の機関車以外の各車両に搭載されていた二二本の消火器の種類、性能等は次のとおりであった。

種類 消火器用消火薬剤の技術上の規格を定める省令(昭和三九年九月一七日自治省令第二八号)第三条に定める強化液型

総重量 七・三七キログラム

液量 三・五リットル

放射時間 棒状四〇秒、霧状二〇秒

性能

種別

能力単位

(消火器の技術上の規格を定める省令((昭和三九年九月一七日自治省令第二七号))第三条に基づく。)

A火災

(B火災以外の

一般火災)

熟練者が三〇×三五×七三〇ミリメートルの杉気乾材九〇本を五、五、四、四、五、五、四、四、……と井げた状に積み上げ、下から一・五リットルのガソリンで点火し、三分後に消火を開始して消火器一本で完全消失し、二分以内に再燃しない場合。

消火方法は棒状もしくは霧状

B火災

(ガソリン、燈油

等の油火災)

(1)深さ三〇〇ミリメートル、表面積二〇〇〇平方センチメートル(一辺の内法寸法四四七ミリメートル)の正方形鉄容器に水を一二〇ミリメートルの深さに入れた上にガソリン六リットルを浮かべたもの一辺を点火後一分で消火を開始し、

(2)深さ三〇ミリメートル、表面積一〇〇〇平方センチメートル(一辺の内法寸法三一六ミリメートル)の正方形鉄容器に水を一二〇ミリメートルの深さに入れた上にガソリン三リットルを浮かべたものを五個並べ、点火後一分で消火を開始し、

(1)、(2)のいずれも熟練者が消火器一本で消火した場合。

消火方法は霧状

C火災

(電気火災)

「適」放射方法は霧状

七  列車火災における処置手順の存在と車両の切離

《証拠省略》によれば、以下の事実を認めることができる。

被告人石川の所属していた新鉄局新潟車掌区では、昭和三九年ころ、列車の運行にあたって各種の異常事態が発生した場合の対処方を示した「異常時の取扱」と題する小冊子を作成し、これを管内の列車の運転に関係する従事員に配付のうえ列車乗務の際には携帯するよう指示していたが、そのなかで、「運転中列車火災が発生した場合」として次のような手順を定めていた。

一方、被告人辻の所属していた金鉄局では、昭和四四年五月に本社運転局乗務員課荻原総括補佐名で作成された「列車火災発生時における動力車乗務員の処置方について」と題する連絡文書に基づき、局報で示していた列車火災時における処置手順を、同四七年八月、手帳大のカードに記載し、これを管内の列車の運転に関係する従事員に配付のうえ列車乗務の際には携帯するよう指示していた。

処置手順

手順

処置

注意事項

(1)列車の停止と

列車防護

○火災列車を直ちに停止

○トンネル内橋りょう上はなるべく

避ける。

○パンタグラフ降下

○転動防止手配

○隣接線の列車を停止

○信号炎管、軌道短絡器、無線機

使用

(2)旅客の誘導

○他の車両又は車外へ避難誘導

する。

○トンネル内では窓をしめる。

(略)

(3)消火作業

○消火器で消火する。

○風上から風下に放射する。

○火災の程度が大きい場合火災

車両を切離

○爆発、引火等のおそれのある車

両は、一両以上隔離

○車両群の転動防止手配

(4)速報

(略)

(略)

両局処置手順

(1)列車の緊急停止

電気ブレーキ、車掌弁により停止させる。

(略)

橋りょう、トンネル、人家密集地帯等危険な箇所をさけ消火に便利な場所に停止させる。

(2)列車防護

列車の最後部付近で信号炎管を点火する。

隣接列車を停止させる必要のあるときは、隣接線路に短絡器を装置する。

(略)

(3)旅客防護

(略)

(4)消火作業

消火器その他あらゆる手段を用いて消火にあたる。

状況により火災車両を切離し隔離する。この場合運転士とよく打合わせをし、電車、気動車の場合はドアー手配をよくする。

(略)

(5)通報連絡

(略)

右の新鉄局新潟車掌区及び金鉄局の両処置手順(以下「両局処置手順」という)にある火災車両の切離は、連結車両への延焼防止を目的としていたもので、具体的には、「両局処置手順」が明示するとおり、火災車両の孤立、即ち、火災車両の前後に連結車両がある場合にはまず後部車両を切離し、列車を走行させて後部車両との間に安全距離を車両一両分(約二〇メートル)以上取ったうえ、次に、火災車両の前部を切離してこれを孤立させることを意味し、関係従事員にもその旨指導されてきたが、車両間は自動連結器で連結されており、これを切離するにあたっては、「きたぐに」の二号車、食堂車間等を連結していた柴田式下作用の連結器の場合、連結車両間の両側にある連結器解放てこを上部に引き上げ、手前に引いてこれを解錠する仕組みになっていた(片側からの操作のみでも解錠可能)。もっとも、連結車両間にはそのほかに、空気ブレーキ用ホース、蒸気暖房用ホース、電気暖房用ジャンパー線といった各種パイプや、制禦用ジャンパー線が接続していたため、車両間の切離においては、ホロなどとともにこれらも取り外ずさなければならず、とくに、蒸気暖房用ホースの取り外しにはハンマーを必要とし、また、電気暖房用ジャンパー線には、一、五〇〇ボルトの高圧電流が流れていることから、その操作にあたっては通電を止めておかなければならず、通常、一車両間の切離作業には、これに熟練した者三名が、平坦な場所で良好な用具を用い、適度の照明のもとで行っても四分程度の時間を要するものであった。

八  火災発見以降死傷者の発生に至るまでの経過

1  乗客による火災発見の状況

《証拠省略》によれば、以下の事実を認めることができる。

昭和四七年一一月五日午後一〇時一〇分定時に大阪駅を発車した「きたぐに」は、敦賀駅を定時より約二分遅れて翌六日午前一時四分三〇秒ころ発車し、二分余りで北陸トンネル内に進入した。食堂車の営業は、大阪駅出発後一時間程度で終了し、食堂車従業員は、米原駅発車時(同日午前零時一〇分ころ((以下年・月・日について特に記載のない場合は昭和四七年一一月六日を指す)))ころから食堂車の深夜燈だけを点燈し、食堂で仮眠していたが、米原駅から乗車し、空席がなかったため二号車前部デッキにいた乗客新田至郎、同上田宏、同岩崎輝昭の三名は、列車が北陸トンネル内に入って間もなくの午前一時八、九分ころ、辺りにこげくさい臭いが漂っているのに気付いて喫煙室後部引き戸に目を向けると、同引き戸のすりガラスを通して喫煙室の下方が明るくなっているのを発見し、右引き戸を開けて中を覗いたところ、室内にはほぼ白煙が充満し、コの字型長椅子中央下部からは、蹴込み板の小孔を通して幅約一五センチメートルの範囲内で、長さ二〇ないし三〇センチメートルの炎が数条吹き上げているのを認めた。そこで、右三名は、直ちに右引き戸を閉め、二号車客室内に退避するとともに、岩崎が、乗務員に連絡するため後方車両に向かい、一号車後部の乗務員室で、同室にいた被告人石川及び広瀬乗務指導掛に煙が出ている旨を告げた(なお、被告人石川の関係でのみ証拠調べした広瀬芳雄の49・4・20付検察官に対する供述調書によると、同人は、「きたぐに」が敦賀駅に到着した際、「列車乗車人員報告票」を同駅職員に手渡し、同駅発車後、四号車前部デッキから途中喫煙室を通って被告人石川の乗務する一号車後部乗務員室に赴いたものであるが、その際、喫煙室内には、格別の異常を認めていなかった。)。

2  被告人両名及びその他の乗務員、公安職員らの行動

《証拠省略》によれば、以下の(一)ないし(六)までの各事実を認めることができる。

(一) 北陸トンネル内での緊急停止

前記岩崎からの連絡を受けた広瀬乗務指導掛は、同人から詳しい説明を求めることもなく、急いで乗務員室前通路に備え付けてあった消火器一本を取り、これを持って前方車両へ向かい、二号車前部デッキまで来て喫煙室後部引き戸を開けたところ、既に同室内に充満していた白煙が一気に吹き出すように流出してきたのに驚き、煙のため出火場所も確認できないまま同室通路付近に向けて右消火器を二、三回放射したが、格別目に見えるような効果はなく、流出する煙と臭気のため、単独で消火作業を続けることは困難であると考え、他の乗務掛に応援を求めるべく、右引き戸を閉め消火作業を中止した。一方、被告人石川も、岩崎に詳しい説明を求めることもなく、広瀬乗務指導掛にやや遅れて二号車前部デッキに通ずる客室扉付近まで来たが、右広瀬の開けた喫煙室出入口から流出している白煙を認めるや、列車の非常停止手配を取るべく、一号車後部乗務員室に引き返し、直ちに同室内の車掌弁を引いて緊急停止措置を講じるとともに、同室備え付けの無線機で、動力車乗務員に対し、「五〇一列車、火災だから止まれ。」と一、二度通報し、これを受けた被告人辻も即座に非常停止措置を講じた結果、「きたぐに」は、午前一時一三分すぎころ、先頭位置を北陸トンネル内敦賀口から約五・三キロメートルの地点にして停止した。

(二) 被告人両名による協議と食堂車切離の決定

被告人石川は、列車停止後、さらに無線機で動力車乗務員に対し、出火場所が食堂車である旨連絡してから車外に降り、トンネルを前方に走って四号車後部デッキから車内に入り、食堂車を後方に進んで行ったところ、食堂内では、列車の緊急停止と同時ころに喫煙室内の火災に気付いた食堂車従業員が、食堂車の車内燈を点燈して消火作業を始めたところで、田沢コック長が食堂と喫煙室とを仕切る押し戸を開けて調理室備え付けの消火器を放射していたので、同人よりこれを受け取り、火源そのものが確認できないうえ、同室内に充満する刺激臭を伴った煙のため呼吸も容易でなかったが、半身を喫煙室内に入れ何回か食堂に顔を出して呼吸を整えながら、断続的に喫煙室内のコの字型長椅子の方に向けて消火液がなくなるまで放射し、ついで食堂車従業員が調理室の給水栓から容量約一三リットルの洗い罐などに汲んでリレー式に運ばれてきた水を二ないし四杯(合計二〇ないし三〇リットル)かけた。ところが、右消火作業によっても、喫煙室内の発煙は衰えないばかりか、依然火源も確認できない状況にあったことから、同被告人は、火源が台車下にあるのではないかと考え、午前一時一七分ころ、消火作業を中止して四号車後部デッキよりトンネル内の上り線側(以下これを山側といい、その反対側のトンネル内下り線通路側を海側という)に降車し、喫煙室の台車下付近を外から点検した。しかし、トンネル内は、側壁の螢光燈など一切の照明が点燈されておらず、食堂車付近においては、同車窓から漏れる車内燈の明りで一メートル程離れた人の顔が何とか識別できるくらいで、台車下には殆ど明りも届かなかったため、点検は容易でなく、そのころ、同所に駆け付けて来た阿部乗務掛に合図燈を持ってくるよう指示したが(但し、同掛が合図燈を持って戻ったのは、後記第一次切離開始直後であった。)、喫煙室内の発煙に比べ台車下には炎、煙など火災の発生を窺わせるものが認められなかったことから、火源や燃焼規模等は確知できなかったものの、一、二号車の乗客を四号車以前に移しかえて列車をそのまま走行させれば、一、二号車に延焼することはあっても、列車はトンネル外に無事脱出できるのではないかとの漠然とした考えを抱くうち、午前一時二〇分すぎころ、後記の経過で同所に来た被告人辻と出合い、事後の措置について協議することとなった。

一方、被告人辻は、列車の緊急停止後、尾山機関助士を火災状況の確認に向かわせたが、暫くして、作田指導機関士に列車の看守をゆだね、自らも火災状況を確認すべく、海側に降車して後方に進み、途中から車内に入って食堂車前部引き戸前に至り、同所から食堂車内に一、二歩踏み込むと、調理室の扉が開いていて、調理室越しに食堂部分を覗くと、調理室内では食堂車従業員が何か作業をしており、食堂内はもやのかかったように見えた。そのうち、通路から食堂車女子従業員が「煙たい、煙たい。」と言いながら四号車の方へ出て行くのを目撃したことから、出火場所はさらに後方であると考え、四号車後部デッキから山側に降車してそのまま後方に向かい、二号車前部デッキに昇ると、喫煙室後部引き戸及び二号車前部引き戸の双方とも開いていたため刺激臭を伴った煙が二号車に流入しており、喫煙室内の様子は依然継続する発煙のため全く確認できなかったが、右デッキ上には数本の消火器が散乱していたことから、既に列車乗務員らは消火作業を断念したのかとも思い、このうえは、火災を通報してきた専務車掌からさらに詳しい状況の説明を求めようと考え、再度山側に降車し、あたりを見回すと、喫煙室横付近に専務車掌用の赤い腕章を付けた被告人石川を発見した。

こうして、被告人両名は、午前一時二〇分すぎころ、喫煙室横付近(山側)で出会ったが、相互に一面識もなかったことから、まず互いに身分を確認し合い、ついで、被告人辻において、被告人石川に対し、火災の状況及び消火の見通しを尋ねたところ、火源自体も把握しかねていた被告人石川はいずれの問に対しても明確な返答をすることができなかった。そこで、被告人辻は、これまで消火作業にあたってきたと思われる専務車掌が火災鎮火の能否につきはっきりした見通しをもっていないことや、それまでに自己が現認した食堂及び喫煙室内の発煙状況などからして、現段階では、も早、火災鎮火の方法による事故回避は困難であり、しかも、食堂車に火災の発生という異常事態を抱えたまま、延長一三キロメートル以上に及ぶ長大トンネルのほぼ中央部に停止した列車の走行を再開してトンネル外へ脱出を図ることも、列車火災における処置手順、さらにはこれまで受けてきた指導からは許されないとの判断にたったうえ、食堂車の切離による列車のトンネル外脱出、即ち、二号車、食堂車間を切離し、食堂車以前の列車(以下これを前部列車という)と二号車より後部の車両(以下これを残留車両という)との間に安全距離を保ち、ついで、食堂車、四号車間を切離して食堂車を孤立させ、四号車以前の列車をトンネル外に走行脱出させることによって乗客等の安全を図るほかないものと考え、被告人石川に対し、「切離するぞ。」と告げた。ところが、被告人石川は、被告人辻の右言薬を二号車と食堂車間のみを切離したうえ前部列車をトンネル外に走行脱出させるものと解釈し、列車の外周には格別異常の認められない状況にあることから、食堂車を最後部にして四号車以前の車両への延焼を防止すれば、列車はトンネル外まで無事走行できるのではないかと判断してこれに同調し、直ちに周辺に集まっていた他の列車乗務員らに「切離するぞ。」と大声で命じたが、その時刻は午前一時二一分すぎころであった。また、被告人辻も、後記の経過で食堂車付近に来ていた尾山機関助士に火災車両を切離する旨伝えた。

(三) この間における他の乗務員及び鉄道公安職員の行動

列車緊急停止時における他の乗務員及び公安職員の乗務位置は左記のとおりであった。

広瀬乗務指導掛 二号車前部デッキ

牛腸公安員 八号車前部デッキ

小林乗務掛 一一号車

伊藤乗務掛 一二号車

佐藤公安班長 一二号車後部乗務員室

阿部乗務掛 一三号車前部乗務員室

作田指導機関士 機関車運転室

尾山機関助士 機関車運転室

広瀬乗務指導掛は、前認定のとおり消火作業を中止したが、列車が停止すると、他の乗務掛の応援を得るため消火器を持ったまま二号車前部デッキから降車して前方に向かい、途中で再び車内に入って右各乗務位置にいた小林、伊藤、阿部の各乗務掛(但し、阿部乗務掛は列車の停止後一三号車後部洗面所に移動していた。)に順次「食堂車で火災が発生しているから消火器を持って現場に行くように」と指示し、自らは阿部乗務掛への指示を最後に再び山側に降車して二号車前部デッキに向かい、喫煙室横付近で台車下を覗いている被告人石川を認めたが、同被告人に声を掛けないでそのまま消火作業を行うべく二号車前部デッキに昇ったところ、程なく被告人石川の車両を切離する旨の命令を聞いた。

小林、伊藤、阿部の各乗務掛は、広瀬乗務指導掛より右指示を受けるや、直ちに列車備え付けの消火器(伊藤乗務掛は九号車備え付けのもの、阿部乗務掛は一一号車備え付けのもの)を持って順次食堂車へ向かったが(なお、小林乗務掛が消火器を持ってきたか否かは不明であり、以後後記する切離作業開始までの同人の行動は、その後同人が死亡していることもあって証拠上確定することはできない。)、伊藤乗務掛は、四号車後部デッキまで来て食堂車内を覗いたが、大した煙でもないように見受けられたので、出火場所は喫煙室ではないかと考え、同所から海側に降りて後方へ向かい、二号車前部デッキに昇って、喫煙室後部引き戸を開けると、同室内には予想外に多量の煙が充満しており、これが一気に流出してきたため、驚いて火源を確認する余裕もないまま、反射的に右引き戸を閉め、暫くして被告人石川の車両を切離する旨の命令を聞き、また、阿部乗務掛は、同じく四号車後部デッキまで来たところ、同所から身を乗り出して後方を見ていた食堂車従業員がいたことから、そのまま山側に降りて後方に進むと、喫煙室の台車下を覗いている被告人石川を認めたので、自らも台車下を覗き、同被告人に対し火災の状況を尋ねたが、「暗くてさっぱり分らん。」という返事を得ただけで、そのうちに同被告人から合図燈を取って来るよう指示されたため、一号車後部乗務員室へ行き、これを持って喫煙室付近に戻ると、既に食堂車、二号車連結部の切離作業が開始されていた。

佐藤公安班長、牛膓公安員の両名は、列車停止後、停止理由を確認すべくおのおの機関車へ向かったところ、一三号車中央部付近で、食堂車へ状況の確認に向かっていた尾山機関助士と出会い、そこで、同人から後方車両で火災が発生していることを知らされ、右三名はそのまま後方に向かった。先頭を走った牛膓公安員は、四号車後部デッキまで来て、食堂車前部引き戸のすりガラスを通して食堂車内を覗くと、既に煙が充満しているように感じたため、中には入らず、そこから海側に降りて後方に進み、二号車前部デッキに昇ると、同所には三名位の乗務員(伊藤乗務掛、広瀬乗務指導掛らと思われる。)がおり、喫煙室後部引き戸は開けられたままで、同室内からは刺激臭を伴う白煙が流出していたが、その場は右乗務員らに任せ、自らは事故発生の事実を最寄りの駅へ連絡するため山側に降車し、上り線側壁面沿いに前後約二〇メートルの範囲で架設電話器を探したが発見できなかったので、止むなく喫煙室横付近に戻ってくると、「切離だ。」という声を聞いた。佐藤公安班長も牛膓公安員と同様に四号車後部デッキまで来たが、既に車内に煙が充満しているように感じて、そのまま山側に降り、二号車前部デッキ付近まで進むと、同デッキ上に二名位の乗務員の姿を認めたことから、自らは四号車、五号車、ついで二号車、一号車の各乗客に列車の停止理由の説明に赴き、これを済ませて再び喫煙室横付近に戻ると、既に被告人両名による食堂車切離の決定がなされていた。尾山機関助士は、四号車後部デッキまで来てそのまま一旦食堂車内に入り、同車前部引き戸付近で食堂方向の様子を窺い、その後、四号車後部山側デッキから身を乗り出し喫煙室付近に集合している乗務員を確認し、これらの状況を報告のため機関車に戻ろうとした際、被告人辻から食堂車を切離すことに決まった旨告げられ、機関車に戻ってこれを作田指導機関士に報告した。

(四) 食堂車、二号車連結部の切離作業の状況

被告人石川の前記切離命令は、切離箇所、切離の手順、各乗務員の役割分担などについて具体的に指示したものではなかったが、喫煙室周辺に集合していた乗務員らはこれを受けて直ちに食堂車、二号車連結部の切離作業(以下これを第一次切離という)を開始した。

被告人辻は、食堂車切離の決定後、被告人石川に残留車両の転動防止措置を取るよう依頼し、自らは感電事故防止のため電気暖房器への通電を切りに機関車まで行き、既にこれが切られていることを確認してから作田指導機関士に火災車両を切離することを告げたうえ、再び食堂車、二号車の山側連結部に戻り、同所で切離作業中の乗務員と交替して山側連結部の切離作業に従事した。

被告人石川は、被告人辻の依頼を受けて残留車両の転動防止措置を取ったのち、上り線列車のトンネル内進入による併発事故を防止するため、午前一時三一分ころ、列車最後部あたりの上り線軌道上に軌道用短絡器を装置し、その後、食堂車と二号車間の連結部に戻って切離作業中の乗務員らに指示を与えるなどした。

その他の者で直接第一次切離に従事したのは、広瀬乗務指導掛、伊藤乗務掛、牛膓公安員の三名で、海側での切離作業は、当初広瀬乗務指導掛、伊藤乗務掛があたったが、右両名はこれまでに切離作業の経験がなかったためジャンパー線等を容易に取り外すことができず、そのうち、かつて車両の解結作業に従事したことのある牛膓公安員と交替して同人が海側の各連結機器を切離し、右広瀬、伊藤の両名はホロの取り外しに従事した。また、機関車に戻った尾山機関助士は、最寄りの駅に火災発生の事実を連絡するため機関車備え付けの携帯電話機を持って山側を壁伝いに今庄口方向に歩いてT・Bを探し、午前一時二八分ころ、敦賀口より約五・三八五キロメートルの地点の大型待避所内のT・Bの端子に右電話機を接続し、これによって今庄駅(敦賀駅においても右交信状況を傍受)に対し食堂車から出火したため切離作業中であることを通報し、さらに救援の手配を依頼して機関車に戻り、作田指導機関士の指示で上り列車の進入を阻止するため信号炎管に点火したのち、同人とともに、そのころ木の芽場内信号機(敦賀口より七・三四キロメートル地点)付近で停止した上り普通急行「立山三号」の動向を注視していた。

切離作業に関しては、被告人石川及び牛膓公安員を除いてはその経験がなかったうえに、実地の訓練も充分受けておらず、加えて、停止地点が一〇〇〇分の一一・五という上り勾配で、トンネル内の照明が一切点燈されていない暗闇下という悪条件も重なり、第一次切離完了までに一〇数分間を費やしたが、被告人辻は、切離作業の最終過程である自動連結器の解放てこを引き上げたのち、佐藤公安班長が肩に掛けていた携帯無線機を用いて作田指導機関士に連絡して前部列車を数メートル引き出させ、午前一時三四分ころ、第一次切離の完了を確認した。

なお、第一次切離作業中においては、消火作業は全く行われていなかったため、喫煙室内の火災は多量の発煙を伴いつつ次第に進行し、同作業完了ころには、食堂車から流出する煙がトンネル内に滞留し始めていたが、いまだ、列車の外周に異常を与えるまでには至っていなかった。

(五) 前部列車の七〇数メートル走行と列車乗務員による食堂車、四号車連結部の切離作業

被告人辻は、第一次切離完了後、食堂車と残留車両間との安全距離を保ったうえ食堂車と四号車連結部の切離作業にかかるべく、前記携帯無線機を用いて作田指導機関士に右安全距離確保のため前部列車の前進方を依頼しようとしたが応答がなく、上り線軌道上を移動しながら一分余りにわたって交信を図ったけれどもやはり連絡がつかなかったため、やむなく機関車まで戻り、午前一時三九分ころ、自ら前部列車を走行させたが、その際、電話連絡のため機関車から降りていた尾山機関助士、あるいは、作田指導機関士の要請により、T・Bに携帯電話機を接続したままの前記大型待避所の手前約三メートルの地点まで七〇数メートル前進したうえ、午前一時四〇分ころ、停止した。

一方、被告人石川は、第一次切離後は前部列車をそのままトンネル外に走行脱出させるものと考えていたため、同切離完了後、残留車両と前部列車に別れて乗務させる列車乗務員の割り振りをし、残留車両には自分のほかに小林乗務掛を残すこととして(公安職員においては、佐藤公安班長が牛膓公安員を残留車両に配置していた。)、阿部乗務掛らに消火器などを前部列車に積み込むよう指示したりしていたが、他方、同被告人の切離命令が前記認定のとおり具体性を欠いていたこともあって、列車乗務員の一部の者は、第一次切離完了後に続いて食堂車、四号車連結部の切離作業にかかるものと考え、第一次切離が完了すると、右連結部の切離作業(以下これを第二次切離という)に着手したが、被告人石川からの右指示を聞きこれを中止した。ところが、そのうち、何の合図もなく、突然前部列車が走行を開始したことから、被告人石川は、食堂車、四号車連結部付近にいた伊藤乗務掛に同列車に飛び乗るように命じ、あとは煙の中にすい込まれるように消えていく前部列車を見送ったが、同列車はそのままトンネル外まで走行していくものと考え、残ったほかの列車乗務員や公安職員とともに残留車両の乗客の避難、誘導にあたることとした。

(六) 被告人辻による四号車、五号車間連結部の切離作業とき電停止事態の発生

被告人辻は、前部列車を七〇数メートル進行させて停止してからは、食堂車、四号車間を切離するため機関車備え付けの車両の転動防止用手歯止め二個を持ち、尾山機関士とともに後方に向かったが、四号車、五号車間を食堂車、四号車間と錯覚し、四号車最前部山側の車輪に前後から右手歯止め二個をかませて孤立させる車両の転動を防止してから、尾山機関助士に懐中電燈で連結部を照らさせながら四号車、五号車連結部の切離作業(以下これを第三次切離という)にかかった。

一方、残留車両の乗客の避難誘導にあたろうとしていた被告人石川は、走行する前部列車の後を追いかけその停止音を聞きつけて戻ってきた広瀬乗務指導掛から、前部列車がトンネル内に再停止したことを知らされ、意外に思って同人とともにトンネル内を前方に向かったところ、四号車、五号車の山側連結部で切離作業中の被告人辻を発見した。

第三次切離作業時においては、既に火炎が喫煙室内全体に充満し、いわゆるフラッシュオーバーの状態に達して車外にも多量の煙が流出し始めていたことから、被告人辻は、食堂車を孤立させたうえ、一刻も早く列車をトンネル外まで走行させなければならないと考え、蒸気暖房用ホースの閉栓と自動連結器の解錠にとどめ、他の連結機器は列車の走行により引きちぎる心算で、右ホースの閉栓後、自動連結器の解放てこの操作に没頭し、そのころ反対側の海側連結部にやって来た広瀬乗務指導掛に対しても解放てこのみを操作するよう指示していたところ、同所に駆け付けて来た被告人石川から「何をしてるんだ。」と一刻も早くトンネル外に列車を走行させるよう促された。これに対し、被告人辻は、「自連さえ切れれば何とかなる。」と答えたものの、右てこは容易に上がらず、その操作に難渋していたため、これに不安を抱いた被告人石川は、さらに「大丈夫か。」と尋ねると、被告人辻から、間もなく走行を再開する旨の返答を得たことから、前部列車は間もなくトンネル外まで走行できるものと考え、広瀬乗務指導掛に残留車両へ戻るよう指示し、自らも引き返した。

被告人辻はなお暫く開放てこを操作したのち、自動連結器の解錠を確認するため列車を数メートル引き出そうと考えて機関車まで走り、午前一時五二分ころ、作田指導機関士にその旨を依頼したが、そのとき、激しい衝激音とともにき電(送電)停止となり、列車の走行が不能となったことを知った。

右き電停止の原因は、食堂車の炎上による火炎又は火煙を通じ、メッセンジャー線からトンネル壁面又は塩化ビニール製漏水防止樋との間に起きた放電短絡によるものであって、これにより敦賀変電所内の自動しゃ断機が作動し、下り線敦賀駅から湯ノ尾区分所(米原起点七八・五キロメートル)間のき電が停止された。これに対し、作田指導機関士は、前記大型待避所内のT・Bに設置した携帯電話機により隣接駅へき電の再開を要請し、これが金鉄局列車指令を介してき電系統の運用を司る金鉄局電力指令室に届いたが、同指令室では、右の自動しゃ断器の作動がトロリー線の断線によるものと考え、事故現場の状況を把握、確認できないままでき電を試投入することは感電事故等の二次災害発生の虞れがあると判断したことからこれを控え、敦賀電力支区等へ事故現場の速やかな調査を指示するにとどめた(なお、この結果、北陸トンネル内の下り線のき電停止の状態は、ほぼ午後一〇時四〇分ころまで継続した。)。

3  乗客の避難、救護活動と死傷者の発生

《証拠省略》のほか、後記認定の死亡者については、当該死亡者の関係において作成された検視調書及び死体検案書、各負傷者については、別表(三)の関係各証拠により以下の事実を認めることができる。

(一) 乗客の避難、救護活動

被告人辻は、列車が走行できなくなったため直ちに前部列車の乗客の避難誘導にあたったが、き電停止の直前ころから伊藤乗務掛、食堂車従業員によって乗客の今庄口への誘導が開始されており、伊藤乗務掛らの誘導のもとに早期に今庄口へ徒歩脱出を開始した者のうち、約一〇〇名がそのまま脱出し、約二〇〇名は敦賀口より六・八六五キロメートル(「きたぐに」の機関車先頭部から約一・四八キロメートル前方)まで徐行してきた上り普通急行「立山三号」に救助され、午前三時ころには今庄駅に到着した。その余の乗客は、明け方近くになってから今庄口、敦賀口よりそれぞれ到着した救援列車によって救助され、この時点ころまで乗客の避難誘導にあたっていた被告人辻及び尾山機関助士らも同時に救出された。

他方、被告人石川は、残留車両に引き返す途中、火災の進行に伴い、トンネル内に大量の煙が充満していることを知り、このままトンネル内にとどまることは乗客の生命に危険を及ぼすとの判断から、残留車両にとどまった列車乗務員、公安職員らの協力のもとに乗客一〇〇余名を敦賀口まで徒歩脱出させることを考え、阿部乗務掛を先頭にして乗客の避難誘導を開始したが、既にトンネル内に充満していた濃煙のため乗客の半数以上はこれを断念して残留車両内に退避し、最終的に脱出に成功した者は阿部乗務掛と約四〇名の乗客にすぎなかった。残留車両に退避した乗客、乗務員の合計七〇余名は、午前二時三七分ころに敦賀駅を発車し、同三時すぎころ、敦賀口から約四・七四キロメートル地点に到達した救援列車(同地点には、「きたぐに」の後続貨物列車が停止中)により敦賀口に救出された。

この間、火災は食堂車をほぼ全焼するとともに、四号車後部デッキの一部を焼き、これにより発生したおびただしい量の煤煙等は、トンネル内の現場一帯に充満した。

(二) 死傷者の発生

本件事故により発生した乗客及び乗務員中の死亡者は、前記公訴事実中の別表(一)死亡者一覧表のとおりであり、また、負傷者に関しては、別表(二)負傷者一覧表中、氏名欄につき、番号234の桂尾勇蔵を柱尾勇蔵に、同246の三田村みえ子を三田村ミエ子に、同397の吉村トシ子を吉村トシコに、各訂正し、傷害の内容欄につき、番号5丸岡智代子の両下腿打撲症、同41五十嵐芳野の右下腿打撲症、同118岡山勇の右外眦部挫傷、同191石田栄美子の両下肢・左手挫傷、右足関節挫創、同216杉田静枝の左下腿挫傷、同288鈴木フミ子の右アキレス腱部外傷性疼痛及び同559渡辺ミセ子の右側前頭部、右上腕部打撲を各削除し、また、同47井手洋子の左下腿打撲症を両膝打撲症に訂正し、程度欄につき、番号73豊井久美子、同74豊井さつきの各加療一年六か月以上を各加療五年九か月以上に、同98浅川光子の加療一年五か月以上を加療五年七か月以上に、同105池田民子の加療一年四か月以上を全治五年七か月に、同118岡山勇の加療一年五か月以上を全治約六年に、同139高橋信一の加療一年五か月以上を加療二年六か月以上に、同145畳政美の加療一年五か月以上を加療五年七か月以上に、同149竹本進の全治二二六日間を全治約二六日間に、同209小森きみのの加療一年五か月以上を全治約四年九か月に、同262岩垣一弘の加療一年五か月以上を加療七年以上に、同263岩垣静子の加療一年五か月以上を全治約四年八か月に、同329山本肇の加療一年五か月以上を全治約七年五か月に、同343大柳ちよのの加療一年六か月以上を加療七年以上に、同344恩地一彰の加療一年五か月以上を加療二年七か月以上に、同347北浜幸次郎の加療一年五か月以上を加療七年以上に、同353斎藤相太の加療一年六か月以上を全治約四年四か月に、同354斎藤純子の加療一年六か月以上を加療四年四か月以上に、同384増永茂の加療一年五か月以上を加療七年以上に、同391森清の加療一年四か月以下を加療一年四か月以上に、同411柏崎キヨウの加療一年六か月以上を加療三年四か月以上に、同457宇佐美ミチの加療一年五か月以上を全治約三年一か月に、同464木戸賢蔵の加療一年六か月以上を全治約四年に、各訂正するほかは同一覧表のとおりであることが認められる。乗客中の死亡者二九名は、いずれも前部列車に乗車していた者であるが、これらの者は、避難の途中、食堂車の炎上によって発生した一酸化炭素等の有毒ガスによって意識を失い、煤煙吸引によって気道の窒息症状をきたしてトンネル内で死亡するに至ったものである(但し、このうち土田昭助は、全く同様な外的障害を受け昏睡状態に陥ってトンネル内の下水暗渠の水中に落ち溺死したものである。)。

負傷者に関しては、残留車両の乗客ら一〇〇余名中、早期に徒歩脱出した者は無傷で、残留車両内に退避した約七〇名中加療約一か月以上の者は八名で、他は一か月以内であった。前部列車の乗客は、殆ど負傷し、無傷の者は約二〇名余りで、負傷者のうち一〇ないし一三号車の乗客は早期に避難を開始したため上り普通急行「立山三号」に救助されるか、徒歩脱出に成功したため重傷者は比較的少なく、殆どが加療三週間以内であった。これに対し、四ないし九号車の乗客には重傷者が多かった。各負傷者の傷害内容のうち、「北陸トンネル災害症」とは、火災によって生じた一酸化炭素等によるガス中毒と煤煙吸引による呼吸器の閉そくの結果、急性鼻咽頭炎、急性気管支炎、急性肺炎等の症状が複合し、いわゆる症候群として発生しているところに特徴を有するもので、本件事故後、これが医学的に右のように名付けられたものである。

九  前項認定事実中の主要事項に対する補足的証拠説明

1  出火原因と火災の推移

(一) 出火原因

前記認定のように、火災発見者である新田ら三名は、喫煙室内コの字型長椅子蹴込み板の小孔から吹き出す炎を現認していることから、本件火災の出火場所は同椅子下周辺と推認されるものの、その出火原因については、取り調べた三通の鑑定書(前掲糸谷の49・7・10付鑑定書((以下糸谷鑑定という))、科学警察研究所警察庁技官小松崎盛行外一名作成の鑑定書((以下小松崎鑑定という))、福井県警察本部刑事部鑑識課技術吏員布施田廣義作成の48・12・5付鑑定書((以下布施田鑑定という)))の鑑定結果はそれぞれ異なり、小松崎鑑定は、出火原因を不明、布施田鑑定は、出火原因をコの字型長椅子下床面に取り付けられていた電気暖房器の鉄製端子カバーと電極端子との接触により極間短絡を起して暖房器本体が異常発熱し、その上にあったと推定される紙、布などの媒介物が燃焼し床面に移火したもの、糸谷鑑定は、コの字型長椅子下床面の電気暖房器のリード線と車内配線との接続不良を原因とする右配線に接する床面での漏電火災であるとの各結論を出している。出火場所と目される喫煙室内コの字型長椅子下床面に蒸気暖房用放熱管二本と一キロワットの電気暖房器(以下これを本件暖房器という)が取り付けられていたことは前記認定のとおりであり、《証拠省略》によれば、大阪・青森駅間を往復する普通急行きたぐにの車内暖房は、大阪・米原駅間が直流電化区間、米原・青森駅間が交流電化区間であったため、田村駅を暖房切り替え地点とし、大阪・田村駅間は蒸気暖房を、田村・青森駅間は電気暖房を各使用していたものであるところ、「きたぐに」は、田村駅をほぼ定時の午前零時二二分ころに発車したこと、事故直後の食堂車の検証の結果、喫煙室内コの字型長椅子の蒸気暖房用放熱管の蒸気流通弁が「開」の状態になっていたことから、大阪・田村駅間は右各放熱管に蒸気が流通していたこと、田村駅発車当時、食堂車の電気暖房器への通電を操作する配電盤内のスイッチ四個のうち三個が「入」、一個が「切」の状態となっており、右検証時においても、配電盤内の四個のスイッチのうち向かって右から二番目のスイッチのみが「切」で、残りはすべて「入」の状態となっていたことから、本件暖房器も、田村駅発車時から少なくとも一回路は通電状態となっていたことの各事実を認めることができる。そして、右三鑑定のいずれもが、出火時に本件暖房器が通電状態にあったとの前提にたって同暖房器からの出火を中心にその原因究明にあたったことは各鑑定書の内容からしても明らかで、特に、《証拠省略》によれば、糸谷鑑定は、右小松崎、布施田の両鑑定がなされたのち、両鑑定の合理性を検討する意味も含めて、さらに出火原因を解明すべく、右二鑑定もその資料としてこれを行ったものであることが認められる。

ところで、糸谷鑑定及び前掲証人糸谷の当公判廷における供述では、事故後に押収された本件暖房器に認められる顕著な被熱痕跡として、(イ) 本件暖房器の食堂との仕切り壁側(以下食堂側といい、その反対側を二号車側という)の暖房器発熱体支持鉄台の熱変形が激しいこと、(ロ) 食堂側のリード線取付け端子(黄銅製)二個が双方とも溶触していること、(ハ) 発熱体端子に接続する銅板が食堂側の窓側(奥の内壁寄り)のみ溶断していること、(ニ) 一部発熱体端子絶縁マイカが破損していること、(ホ) 食堂側リード線支持がい子にはさまれていた電線被覆が一部原形をとどめているのに反し、二号車側の同材は灰化していること、(ヘ) 食堂側のリード線、車内配線(ゴム絶縁クロロプレン被覆の銅より線)部分など焼けた配線に溶触痕跡が認められることの諸現象をとらえ、これらは、本件暖房器の食堂側周辺の床が極めて短時間のうちに異常な高温度(摂氏一、一〇〇度以上)の炎を出して燃焼していったことを推定させるものであって、火災初期におけるこのような発炎燃焼は、床面で漏電火災が発生した以外に考えられないと結論づけており、他方、これとは異なる結論を出している布施田鑑定に対しては、同鑑定のいう出火原因によると最も高温となる筈の発熱体自体に殆ど熱変形が認められず、かえって、被熱の少ない筈の発熱体支持鉄台に顕著な被熱痕跡の存することと矛盾することや、銅、マイカなど溶触点の高い物質に生じている溶触痕跡の説明に窮することなどの諸点をあげてこれを批判しているところである。布施田鑑定に対する右各疑問点として指摘するところは、本件暖房器に残る被熱痕跡の点からすれば充分理由のあるもので、第一六回公判調書中の証人布施田廣義の供述部分によっても依然その点は解明されたとはいえない。一方、出火原因を不明とした小松崎鑑定は、糸谷鑑定の指摘するリード線と車内配線の接続部分の接続不良からの出火の可能性についても一応の実験、検討を試みているが、同実験が、両線の一本の接続線で行われ、その接続不良からでは瞬間的な発炎着火しか得られなかったことを確認したにとどまるのに対し、糸谷鑑定は、本件暖房器の食堂側には、暖房温度調節のため異相の電線が並行して配線され、これらが塩化ビニールテープで巻きつけられていたことに着目し、両線間での漏電継続からの出火の可能性を指摘するものであることから、両鑑定が矛盾するものでもなく、また、小松崎鑑定の共同作成者である証人石井義雄の第一六回公判調書中の供述部分によっても糸谷鑑定に格別の疑問を生じさせる余地を見出すことができないものである。そうすると、本件出火原因については、右三鑑定によってもなお未解明の部分が残るにしても、これらを総合して検討すれば、想定できる出火原因のうちでも糸谷鑑定の主張するところが本件火災現象を最も合理的に説明できるものと考えられ、同鑑定及び前掲証人糸谷の当公判廷における供述により次のとおり認めるのが相当である。

喫煙室内の暖房は、田村駅までは蒸気暖房が使用され、同駅以降は本件暖房器に一回路(五〇〇ワット)だけ通電していたところ、一般に電気暖房器の取付けは、発熱体支持鉄台の両端部を押えたうえ、中間部にも支持木台を設けて固定する方式がとられていたが、本件暖房器は両端部を固定するのみであったことから、他の電気暖房器に比べ、列車の走行による振動を受け易く、これがリード線から車内配線との接続部分にも伝わるようになっていた。しかも、電気暖房器のリード線と車内配線の接続方法は、両線の各端子のターミナルをビスとナットで締め付け、塩化ビニールテープで巻き止めるだけで、右締め付けにワッシャーが用いられていなかったため、一度接続部分に緩みを生ずると列車の振動により一層緩み易くなる状態のものであった。本件暖房器の食堂側リード線と車内配線との接続部分は、右のような状況から接続不良を招来し、暖房器への通電開始により、右接続不良部分に異常発熱を生じさせ、その被熱による接続端子部の腐食も加わってその発熱温度は摂氏一、一〇〇度位にまで及び、次第にこの発熱は両線の接続部分から両線自体にも伝わっていき、もともと、食堂側の右配線は、蒸気暖房用放熱管に接近して配線されていたため、蒸気暖房の使用による右放熱管からの継続的な被熱(摂氏六〇度以上)により、配線被覆物の絶縁性が劣下していたこともあって、ついに、同所に塩化ビニールテープが巻きつけて配線されていた異相の右各線間で絶縁破壊を生じ、最高温度が摂氏一、一〇〇度を超える線間漏電が継続することとなった。しかも、右配線は、規格外の部品によって床面に接触して引かれていたため、これと接触する床仕上げ材(塩化ビニール製)の絶縁性も劣下して電導性を帯び、やがて床面との間でも直径約三〇センチメートルの範囲で漏電回路が成立し、そのまま継続した漏電により被熱した床木材が、二ないし三アンペアの少電流によっても発火し易い状態(いわゆる金原現象)となって、ついに床木材が高温度で発火炎上するに至り、本件暖房器を包む炎を媒介にして暖房器の発熱体外管と発熱体リード用銅板との間でも電流が流れ、炎は摂氏一、一〇〇度を超える高温となって火災の急速な進行を招き易い状態となったものである。

(二) 被告人石川らの消火作業時における火災の進行程度

《証拠省略》によると、乗客の新田ら三名が喫煙室内の火災を発見したのは、敦賀駅を発車した「きたぐに」が北陸トンネル内に進入(午前一時七分ころ)して間もなくの時点であったと認められるところ、《証拠省略》によれば、敦賀駅発車後、「きたぐに」に非常制動の措置が講じられたのは午前一時一二分ころであり、また、乗客岩崎の被告人石川らに対する火災発生の通報から、同被告人が喫煙室内より流出する火煙を確認し非常制動措置を講じるまでには三分前後の時間を要すると考えられることの各事実に照らすと、右火災発見時刻は、午前一時八、九分ころであったと認められる。

ところで、乗客新田らは、火災発見時の喫煙室内の状況について、室内には煙がかなり充満し、コの字型長椅子中央部の蹴込み板の小孔から炎が吹き出していたことを一致して供述するものの、その炎の大きさに関しては、三者三様の供述をなし、新田は、幅、長さともに三〇ないし四〇センチメートル、上田は、幅一〇センチメートル、長さ三〇センチメートル位、岩崎は、幅一五、六センチメートル、長さ一二、三センチメートルと区々である。しかしながら、右三名は、火災発見後直ちに二号車へと退避し、あるいは、乗務員へ連絡に向かうなど火災を凝視するような状況になかったことからすれば、右三名の炎に関する供述が区々となるのはむしろ当然のこととも考えられ、右三名の供述を総合すると、結局、当時の発炎状況としては、蹴込み板の小孔から幅一五センチメートルの範囲内に長さ二〇ないし三〇センチメートルの火炎が数条吹き出していたものと認められる。これを前掲糸谷鑑定に照らして考えると、右三名が火災を発見したのは、床面での漏電が発炎燃焼に進展してからそれ程経過していない時点であったものと認められる。

次に、田沢コック長ら食堂車従業員及び被告人石川による消火作業は、前記認定の事実経過からして午前一時一四分すぎころに開始されたものと認められる。もっとも、被告人石川は、列車の緊急停止後は一号車後部乗務員室から信号炎管及び軌道用短絡器を持って列車の最後部荷物車の後方五ないし一〇メートル付近まで行き、同所で信号炎管に点火し、上り線軌道に短絡器を装置してから食堂車に行って消火作業を行った旨捜査段階から終始供述し、列車停止後直ちに食堂車に向かったものではないことを主張している。しかしながら、同被告人の供述を前提にすると、短絡器の装置時刻は午前一時一四分ころで、軌道回路の短絡区間は、上り線の前記木の芽場内信号機と敦賀口より四・六〇一キロメートル地点にある上り三号閉そく信号機との間ということになり、短絡器の装置とともに右上り線木の芽場内信号機の表示が赤色に変化していなければならないところ、《証拠省略》によると、「きたぐに」が北陸トンネル内に停止後、同トンネル内の上り線を進行してきた列車は上り普通急行「立山三号」だけであり、同列車の機関士山川及び補助機関士徳井の両名は、木の芽場内信号機の手前約六〇〇メートルの地点で同信号機の表示が突然青色から赤色に変化したのを現認し、同信号機の手前約一〇〇メートルの地点で一旦停止したのち、隣接駅と連絡するため再び列車を走行させて同信号機の手前一一メートルの地点で再停止し、時間を確認すると午前一時三三分であったとの事実が認められ、右信号権の表示が変化した時刻からすれば、被告人石川の供述は客観的事実に沿わないこととなる。しかも、《証拠省略》によれば、田沢コック長らは、列車の緊急停止後からそれ程時間をおかないで消火作業を開始し、被告人石川は、同コック長が一本の消火器を全部放射し終わらないうちに同人から消火器を受け取った事実が認められるので、これらの事実に照らすと、同被告人は、列車の緊急停止後、信号炎管に点火したり、軌道用短絡器を装置したりしないで食堂車に向かい、消火作業を開始したと認めるのが合理的である。

ところで、証人田沢の前掲供述部分によれば、同人の消火作業時における喫煙室内の状況は、コの字型長椅子中央部の蹴込み板から「ガスバーナーをちょろちょろやったみたいにして五、六本」の炎が出ており、食堂車備え付けの消火器で炎に向かって放射すると、「火はそこから出なくなり」、そのころ、四号車方向から駆け付けて来た被告人石川に消火器を渡して自らは調理室へ水を取りに走った旨供述するところ、検察官は、論告において、右供述内容をとらえて、同人の消火活動により一旦炎も消え、火災は単に燻り続けて煙が出ているにすぎない状態になった旨主張している。しかしながら、乗客新田らの火災発見後、田沢コック長が消火作業に着手するまでの火災の進行状況を前記認定の事実に照らして検討してみると、(イ) 同人の消火作業は、右新田らの火災発見後五、六分を経過してから開始されたが、その間本件暖房器は通電状態にあったこと、(ロ) 出火部の床面は、前掲図面(三)、(四)のとおり、列車内壁、長椅子、蹴込み板によってその周辺を囲繞された極めて狭い場所であったところ、上部を覆う長椅子は、その下張りがポリエチレン織布、詰物はヘヤーロック、中張りがビニールクロスといずれも可燃物であり、奥部の列車内壁も内張板に可燃性のポリエステル樹脂化粧硬質繊維板が用いられ、しかも、同所は、大阪駅を出発して以来の蒸気、電気各暖房器の使用によって高温、乾燥の状態にあったことから、床面からの高温度の炎は、これらの可燃物に容易に燃え移る虞れのあったこと、(ハ) 田沢コック長らによる消火作業が開始される以前の消火作業としては、広瀬乗務指導掛が喫煙室通路を目掛けて消火器を二、三度、数秒にわたって放射していることが認められるが、右は、放射した消火液量、放射場所からして発煙現象を助長することはあっても鎖火には全く効果をあげていなかったと考えるのが相当であり、これらの諸点からすれば、田沢コック長が消火作業に着手した時点においては、床面からの発煙は既に周辺の可燃物に燃え移っていた疑いが極めて強いものである。しかるところ、これに対する田沢コック長の消火作業は、前記能力単位の消火器一本を完全に放射したわけではないうえに、燃焼箇所は蹴込み板などで遮蔽されているため、放射された消火液は蹴込み板の小孔を通してしか火源に到達せず、しかも、同人は、消火器の取扱いに熟練していなかったことから、火源にまで達した消火液の量はごく僅かであったと考えられ、右消火作業によって、検察官の主張するように、火災が燻焼状態になったとはにわかに認め難いところである。そもそも、田沢コック長の右供述内容は、当時喫煙室内に多量に充満していた煙の存在を全く認識していないことからしても、同人は、火災の発生により冷静さを失なっていたかに窺われ、炎の状況に関する右供述も全面的には信用できないものであるが、「火はそこから出なくなり」との供述自体も、検察官の火が消えたのかどうかの尋問に対し、「それは分かりません。火はそこから出なくなったように思います。」と答えていることから明らかなように、むしろ、炎が蹴込み板から吹き出す状況が消失したことを意味しているにすぎず、また、この点に関する被告人辻の弁護人の尋問に対しても、「ちょっと止まったような気がします。」、「火が止まったような気がしたですね。そして、そのあとすぐ専務さんが来てから消火器渡してますから、そのあとの状況は分かりません。」と供述しており、消火器の放射後火源の方向を凝視し、発煙状況をしっかりと確かめたような様子も全くなかったことに照らせば、同人の消火作業によって火災が燻焼状態になったとは到底認められないものであり、結局、以上の事実を総合すれば、同人の消火作業によって、多少なりとも燃焼箇所及びその付近へ消火液が放射されたことにより、かえって水蒸気や多量の煙が発生し、発炎状況の確認が不能になったと考えるのが相当である。

そして、これに引き続いて行われた被告人石川の消火作業も、出火場所を充分確認できないままコの字型長椅子方向に田沢コック長から受け取った消火器を空になるまで放射し、続いて二〇ないし三〇リットルの水をかけたものの、前記のような燃焼箇所の遮蔽性、特に右長椅子下の蹴込み板が床面から二九センチメートルの高さまでしかなかったことを考慮に入れると、投下された消火液等が燃焼部に達する可能性はさらに少なく、そのため、右消火作業の効果は、その後の燃焼の進行をやや緩慢にさせた程度で、到底蹴込み板内部の発炎燃焼を消失させるまでには至らず、右消火行為による水蒸気などの見かけの煙の発生が、火源の確認を一層困難にしていったものと認められる。

(三) 消火作業中止後の火災の推移

被告人石川の消火作業中止後は、乗務員及びその他の者による消火作業は一切行われず、また、喫煙室内の燃焼状況を完全に確認できた者もいないため、その後の喫煙室内の火災の推移についてこれを詳細に把握、認定することは困難であるが、前掲第二の八の2に掲げた証拠によれば、大略以下のような状況、即ち、(イ) 出火原因となった本件暖房器への通電は、第一次切離を開始する直前ころには既に切られていたこと、(ロ) 消火作業中止後、食堂車男子従業員は、食堂車通路や調理室に退避していたが、そのうち、喫煙室と食堂間の通風口や両室を仕切る扉の透き間(同扉は、消火作業中止後閉じられていたものと推認される。)などから流出する煙が食堂部分に多量に滞留し始めてきたことから(従業員のうちの小鹿は、田沢コック長から頼まれて同人が食堂に置き忘れたコートを取りに行こうとしたが、充満する煙のためこれを断念した事実が認められる。)、被告人両名らが第一次切離作業を開始して暫くを経た午前一時二五分前後ころには四号車後部デッキに避難したこと、(ハ) 第一次切離が完了し、前部列車が七〇数メートル進行し始めるまでの間の喫煙室内の火炎については、佐藤公安班長が一回だけ「喫煙室の窓ガラスのところに炎がボーッと一瞬上がった」のを目撃しているのみで、被告人両名及びその他の乗務員らは、この間の喫煙室内の炎には全く気付かず(なお、切離作業開始前に炎を見たとの被告人辻の供述が信用できないことは、後記のとおりである。)、喫煙室の窓枠などから流出する煙を目撃したにとどまり、その煙の程度も、切離作業に支障をきたす程のものではなかったことの各事実が認められる。これに対し、前部列車が七〇数メートル走行したのちの状況については、そのころ食堂車付近に集まった乗務員らの供述相互間に若干齟齬があり、被告人辻は、同被告人が第三次切離のため食堂車へ向かう際には既に「火は食堂車の窓などから時たま黒煙を伴ってボー、ボーッと瞬間的に吹き出すようにして屋根あたりまで出ていた。」旨、被告人辻とともに食堂車へ向かった尾山機関助士は、「切離作業を終えて再び機関車に戻ろうとした時点で火が少し出ていたように思う」旨、また、四号車後部デッキに退避していた食堂車従業員小鹿は、「列車がトンネル内を数メートル進行して停止後どれくらい経過してからかははっきりしないが、デッキから喫煙室方向を眺めると、喫煙室の窓付近から火が出ているのに気付き、危険を感じて乗客とともに前方に避難を開始した」旨、いずれも火炎が車外に吹き出していた状況を供述しているのに対し、被告人石川及び広瀬乗務指導掛の両名は、第三次切離に没頭する被告人辻と出会ってから残留車両に戻るまでの間、炎は一度も見ていないが、食堂車からは第一次切離時とは比較にならない程大量の煙が吹き出していた旨各供述している。右各供述は、いずれも、前部列車の走行後の火災状況がそれ以前に比べて飛躍的に進行していたことを窺わせるものであり、被告人辻の供述と被告人石川及び広瀬乗務指導掛の各供述との間に食い違いが存してはいるものの、前掲被告人辻の当公判廷における供述、同証人田沢及び同小鹿の各供述部分によれば、食堂車従業員の小鹿が乗客を誘導しながら前方に避難を開始した時点では、いまだ被告人辻による乗客の避難活動が開始されていた形跡はなく、他方、被告人辻が自動連結器の解錠を確認するため機関車に戻る時点において、避難を開始した乗客が車外に降りていた状況もないことから、小鹿の食堂車から吹き上げる炎を現認した時期は、被告人辻が機関車に戻ろうとしていた時期と相前後していたものと考えられ、少なくとも、第三次切離作業の終了ころには火炎が食堂車から吹き出すまでになっていたものと認められる。

以上の状況を総合すると、被告人石川らの消火作業によっても消火しなかったコの字型長椅子下周辺での発炎燃焼は、その後も多量の発煙を伴いながら進行していったが、被告人両名らが第一次切離を開始する時点では、既に電気暖房器への通電が切られていたことや、被告人石川らによって投下された消火液や水の効果によりその進行は比較的緩慢で、右切離作業当初の燃焼箇所もコの字型長椅子下周辺にとどまっていたが、前部列車が七〇数メートル進行するころには燃焼範囲は著しく拡大し、発煙量も飛躍的に増大して、その後、被告人辻が第三次切離に向かうころには喫煙室内の燃焼による火炎が室内全体に充満したフラッシュオーバーの状態となり、間もなく、その炎が、高熱のため破損した食堂車のガラス窓を通して吹き出し始め、遂には食堂車をほぼ全焼するに至ったものと認められる。

2  被告人両名の協議開始時における火災状況の認識及び協議の模様

(一) 被告人両名の本件火災状況に対する認識の程度

(1) 被告人石川

前記認定のように、被告人石川は、午前一時一四分すぎころより田沢コック長から引き継いで喫煙室食堂側から消火器一本を放射し、さらに食堂車従業員と共に洗い罐などに入った水二ないし四杯をかけてから喫煙室の台車下付近を点検し、同所に火災の発生を窺わせる異常を認めなかったものである。右消火作業に費やした時間は、消火器一本の放射時間が棒状でも四〇秒であること、調理室の給水栓から一〇リットルの水を汲むのに要する時間が約三〇秒であることからすると、同被告人の消火器の放射が充満する煙のため呼吸を整えながらの断続的なものであったことや、給水栓から汲んだ水を喫煙室まで運ぶのに要する時間を考慮に入れてもせいぜい三分程度のものであったと認められ、従って、喫煙室の台車下を点検し始めたのは、午前一時一八分ころであったと考えられる。

ところで、被告人石川は、台車下を点検した時点で、喫煙室内の火災は得体の知れないものであり、これを鎮火できるとまでは考えなかったものの、台車下には異状が認められなかったことから、一、二号車の乗客を四号車以前に移し、四号車への延焼を防止しながら列車を走行させれば、二号車より後部に延焼することはあっても列車は無事トンネル外に脱出できると判断した旨当公判廷で供述している。これに対し、検察官は、同被告人がそのまま列車を走行させることができると判断したのは、喫煙室内の火災は大したものでなくその鎮火も可能であるとの認識を前提としていた筈であり、同被告人は、その後被告人辻から食堂車の切離を主張され、その作業に没頭したため消火作業を失念したものであって、このことは、同被告人自身49・4・23付検察官調書で自認している旨主張する。そこで、まず、右調書中のこの点に関連する部分を摘記すると、「……食堂部分と喫煙室部分とを区切っている硝子戸を押し、持っていた消火器を噴射させた。中は煙が一杯で見通しは全然つかなかった。勿論ソファーも見えなかった。どこから煙が出ているのかも煙のため確認出来なかった。ただ、中で火が燃え盛っているとか炎が出ているとかいった状況はなかった。私はとにかくソファーと思われるあたり目掛けて三回位レバーを押し消火器を噴射させたが、それで液は使い果してしまった。しかし、煙は一向に衰えなかった。……消火液がなくなったので食堂車従業員に水を持って来るよう叫び、バケツの様なものでリレー式で運ばれた二、三杯の水を私も一回位かけた記憶がある。水をかけても煙は衰えないので、あるいは、喫煙室の台車下から燃えているのではないかと考え、それを確認するため四号車後部デッキから上り線へ降り台車の下を見た。車輪のそばまで頭を突込んで見たが、炎は勿論そのあたりから煙は出ていなかった。私は機関士に状況の説明をしなければならないと思い、一号車の車掌室へ無線機を取りに行って戻って来た。この時点においても喫煙室の部分から煙が外へ出ていなかった。そこで私は、その時の状況から見て火事と言ってもそんな大きい火事ではないと思った。炎は見えず、下へは煙が出ていないし、火の気もないので、消火器で消火しながら、このまま列車を今庄の方へ走らせようと考えた。この状況では、列車を走らせてもトンネルを出るまでくらいの間、火が車両に回り、危険な状態になるとは到底考えられなかった(第九項)。切離作業(第一次切離)をさせている時、消火作業をさせることについては、切離に夢中になりつい考えが回らなかった。今から考えると、火災である以上消火が第一だし、又喫煙室が火だるまになっており到底消火の効果がないという状況でもなく、煙のため苦しいことはあっても消火ができない状況ではなかったから矢張り消火するよう乗務員に指示すべきだったと思う。(乗務員のうち)二名位は消火活動に回す事が出来、又とりあえず、消火器も現場に運ばれていたのだから消火活動を続ける事ができる状況だった。切離と決って、そのことばかり神経が集中し、喫煙室内を消火するということについては、つい念頭になかった。私は、当時、消火活動ができない状況ではなかったとはっきり言える。というのは、後程述べる通り、列車を切離し、火災車両を引いたまま機関車が今庄の方へ走り抜ける様に決った時、私は消火器を積んで消火しながら行かせるつもりで、しかもその様に指示しているからです(第一〇項)。」というものである。ところで、右検察官調書の供述内容によっても、被告人石川が消火作業を中止して台車下の点検に向かったのは、自らの消火作業が一向に効果をあげなかったことから出火場所が台車下ではないかとの疑いを抱いたためであることが明らかで、そうすると、台車下を点検しても何らの異常を発見できなかった同被告人としては、台車下から炎が吹き出す程の大きな火災ではないことを確認しつつも、他面、消火作業にもかかわらず、依然発煙が衰えない喫煙室内の火災の実相に対する疑念を一層募らせたものと考えられる。そして、この時点において同被告人は、右のように、これまで行ってきた消火作業を再開することによって火災を鎮火させようとはせず、二号車より後部の車両への延焼の危険を覚悟しつつも列車を走行させてトンネル外へ脱出することを考えたことからすると、(ただ、右の列車走行措置の選択が、確信的な判断にまで至らない漠然とした思い付き程度のものであったと認められることは後に詳述するとおりである。)、鎮火それ自体の可能性についてはむしろ否定的で、少なくとも、その場で消火作業を再開すれば程なく鎮火できるとの見通しを持ってはいなかったと考えられる。もっとも、右検察官調書においては、列車をそのまま走行させるにあたって一、二号車の乗客を四号車以前に移しかえるということについて何ら触れていないが、右検察官調書の作成される以前の司法警察員による取調べの際に明瞭に供述しており、右検察官調書の作成者である証人検察官矢野収蔵の当公判廷における供述によっても、右検察官調書は、この点についてそれ程留意しないで作成されたきらいがあり、右司法警察員調書の内容を否定する趣旨のものとは認められず、同被告人のこの点に関する当公判廷における供述を単なる火災状況に関する弁解として排斥するのは相当でない。従って、右検察官調書中で供述されている「消火しながら列車を走らせる」というのも、火災を鎮火させるための消火作業というものから一歩後退した列車をトンネル外まで走行させるための火災拡大防止手段としての消火作業と理解できるものであり、また、第一次切離作業と併行して「消火活動」ができたとの供述も、同被告人の意図としては、あくまでも、第一次切離完了後は食堂車を連結したまま前部列車の走行を再開させ、トンネル外への脱出をはかることであったわけであるから、右「消火活動」が、火災を鎮火するということまで意味していたとは考え難いものである(なお、同調書中で用いられている「消火活動」の語句の不明瞭さは、ほぼ同一時期に矢野検察官によって作成された被告人辻、広瀬乗務指導掛、伊藤乗務掛の各調書中でも問題となることは後記のとおりである。)。以上の事実を総合すれば、台車下を点検した被告人石川が、喫煙室内の火災の程度を、その鎮火は可能であり、従ってそのまま列車をトンネル外まで無事走行脱出させることができると単純に考えていたとみることは妥当でなく、火災鎖火の見通しを持てなかったからこそ列車をトンネル外まで走行させたうえで事後の処置を取ろうと考えていたとみる方がむしろ合理的であって、列車の走行を思い付いたのは火災が大したものでなく鎮火できるとの認識を持っていたからであるとする検察官の主張は採用できないところである。

(2) 被告人辻

同被告人は、列車の緊急停止後、被告人石川と出会うまでの自己の行動に関し、次のとおり当公判廷において供述している。「列車の緊急停止後、尾山機関助士を食堂車に向かわせ、その約一分後には自ら火災状況の確認に向かうため海側に降車し、海側通路を暫く小走りしたのち、途中から車内に入って食堂車前部出入口から一メートル程食堂車通路内に入ると、若いコックが大きなバケツみたいな容器を持ち、『水をくれ、水をくれ』と言いながら四号車方向へ走って行き、調理室方向を見ると、同所には煙が漂い食堂車従業員一人が何か作業をしていたが、食堂部分は煙のため全く見通せず、そのうち、通路から女性が『ああ、煙たい、煙たい』と言いながら四号車へ走って行ったことから、火源はより後方で消火作業は困難な状態に陥っているのかと考え、四号車後部デッキから山側に降車し、二号車デッキまで行った。同デッキに昇ると、喫煙室の後部引き戸が開けられていたため、身体を覆い尽すような大量の煙が食堂車後部(そこが喫煙室との認識はなかった。)から流出し、同室内には到底踏み込めない状況にあり、同デッキ上には消火器二、三本が放置され、周囲に消火器を放射したような異臭も漂っていたことから、既に消火活動も断念したのかとも思い、火災の発生を通報してきた車掌から詳しい状況説明を聞こうと再び山側に降車すると、喫煙室横付近で赤腕章を付けた専務車掌がいるのに気付いた。」。この供述内容は、食堂部分の煙の充満の程度の点を除けば、捜査段階における供述とほぼ同内容のものとなっているが、右のように、被告人辻は、被告人石川と出会うまでは単独で行動し、後記する尾山機関助士の供述(その一部には信用できない点もあるが)を除いては、同被告人の行動を裏付ける他の乗務員らの供述もないため、諸諸の状況事実に照らして同被告人の供述の信用性を検討していくほかはない。

そこで、まず、同被告人が食堂車前部出入口に到達した際の食堂車内の状況について検討してみると、食堂車内での被告人石川らによる消火作業が午前一時一七分すぎころに中止され、食堂車男子従業員はそのまま食堂車通路や調理室に退避していたことは前記認定のとおりであるが、被告人辻が食堂車前部出入口に到達するのに要する時間は、《証拠省略》によれば、「きたぐに」が緊急停止した際の二号車前部の停止位置にあたる米原起点五五キロメートルの地点から機関車先頭部の停止位置にあたる同起点五五・二三七キロメートル地点間を、内壁の螢光燈が点燈された海側通路を一般男子の徒歩速度で歩いた場合二分三四秒四の時間を要したことが認められ、これに、同被告人においては、食堂車を探しながら(同被告人の当公判廷における供述によれば、一般に機関士は車両の編成内容を確知していることを義務付けられておらず、同被告人も食堂車の連結位置を知らなかった。)、照明燈の点燈されていない暗闇のトンネル内、あるいは、狭い車両内通路を進むという悪条件を考慮に入れると、三分近くかかったと認められ、さらに、同被告人が食堂車に向かうまでに機関車で待機していた時間(被告人辻はこれを約一分間と供述しているがさして根拠のあるものではない。)を加えると、同被告人が被告人石川らの消火作業継続中に食堂車前部出入口に到達した可能性は少なく、しかも、同被告人の供述にも、食堂車通路から食堂方向を覗いた際に、同車内に喧騒を極めるなどの消火作業が継続していたことを窺わせる状況がみられないことや、同被告人に先行して食堂車前部出入口に到達していたと推認される尾山機関助士も、同人の前掲検察官調書では、食堂車前部引き戸から車内を覗いた際には格別火災の発生を窺わせるものはなかった旨供述していること(もっとも、同人は、公判廷において、食堂内において消火作業に協力した旨供述しているが、同供述内容は極めて具体性に乏しく、特に、右検察官調書が、それ以前に作成された同人の司法警察員調書中に消火作業に従事したかの供述があることに言及し、それを明瞭に訂正する体裁で供述、作成されていることに照らすと到底信用することのできないものである。)などからすると、同被告人が食堂車前部出入口に到達した時点では、食堂車内での消火作業は既に中止されていたものと認めるのが相当である。そうすると、同被告人が食堂車内通路に入った際の状況として供述する事実のうち、女性が「ああ、煙たい、煙たい」と言いながら四号車方向へ走って行ったこと及び調理室内で食堂車従業員が何か作業をしていたという事実は、当時の状況に照らして一応認めることはできるが、若いコックがバケツのような容器を持ち、「水をくれ、水をくれ」と言いながら四号車方向へ走って行ったとの事実は、食堂車従業員の消火作業としては勿論のこと、消火以外を目的とした行為としても、調理室には五個の給水栓が取付けられ、当時食堂車内の調理用水に不足を来たしていたという状況が認められないことからするとおよそ考え難いものであって、この点に関する同被告人の供述は信用できないものと言わざるをえない。また、食堂部分の煙の充満度については、前記検察官調書において「調理場(室)を通して食堂車の方を見ました。調理場の奥の方、そこは食堂部分にあたると思いますが乳白色の様なモヤがかかった様になっていたと思います。」と供述しており、この点に関し、同被告人は、当公判廷において、食堂と調理室とを勘違いして供述したのが調書になったのかもしれない旨弁解しているが、右検察官調書は、その記載内容からも明らかなとおり、調理室と食堂とを意識的に区別して作成されたもので勘違いをする余地は少なく、しかも、前記認定のように、食堂車従業員が食堂部分に煙が充満してきたため四号車後部へ退避し始めたのは、第一次切離作業開始後であることからすれば、右弁解も信用し難く、当公判廷での食堂車内の煙の充満の程度に関する供述には若干誇張されたものがあると言わざるをえない。

次に、二号車前部デッキに昇った際の喫煙室内の状況に関する同被告人の供述は、前記認定のとおり、被告人石川らの消火作業によっても依然多量の発煙を伴いつつ同室内の発炎燃焼は継続し、また、広瀬乗務指導掛及び伊藤乗務掛がそれぞれ消火器を持って二号車前部デッキに昇っていたことからすると、充分信用できるものである。

従って、被告人辻の被告人石川に出会うまでの火災状況に対する認識は、出火原因や正確な火源は確認できず、燃焼場所は食堂車後部で、同所では多量の発煙を伴いつつ燃焼が継続しているという程度にとどまったが、二号車デッキ上には消火器数本が散乱していたことから消火作業を断念したのかとも思い、さらに、右発煙状況などからその鎮火は困難ではないかとの考を抱き始めていたものと認められる。

(二) 被告人両名の協議の模様

第一次切離が行われるにあたってなされた被告人両名の協議には、他の乗務員及び公安職員は参加しておらず、また、これをその傍らで聞いていた者も証拠上認められないところ、右協議の模様に関して、被告人両名は全く異なった供述をしている。即ち、被告人石川の当公判廷における供述の要旨は、「喫煙室の台車下には何ら異常が認められなかったことから、一、二号車の乗客を四号車以前に移し替えたうえ、四号車への延焼を防止しつつ走行を再開してトンネル外へ脱出すべきものと考え、被告人辻に対してもこのまま列車を走行させるよう主張したが(その際、火災状況の説明をしたか否かの点は極めて不明瞭な供述に終始している。)、同被告人から食堂車を切離しなければ列車を走行できない旨繰り返し主張され、この主張は、二号車と食堂車間だけを切離し前部列車をトンネル外まで走行させ、残留車両の乗客は別途トンネル外に避難させることを意味するものと判断し、同方法も、この場合の事故回避の一方法と考え、これに同調した。」というものであり、これに対し、被告人辻の当公判廷における供述の要旨は、「被告人石川に出火場所や鎮火の能否を尋ねたが、同人は考え込むだけで明確な返答をせず、そのうち食堂車山側後部車軸の一軸目と二軸目の中間付近の外壁に直径三〇センチメートル位の炎が一〇秒から二〇秒燃え上がるのを見て、も早消火は困難と判断し、被告人石川に『消火できんがやったら、切離せんならんじゃないか。』と聞いたところ、暫く考え込んだ同被告人は『切離をやりましょう。』と答えた。」というものである。また、捜査段階における被告人両名の供述をみると、前掲被告人石川の49・4・23付検察官調書では、同被告人の被告人辻に対する列車走行の主張は、「このままで大丈夫だから走ってくれ。」と言ったというのにとどまっていて、火災状況に関する説明を行った形跡はなく、また、前掲被告人辻の49・4・27付検察官調書では、食堂車外壁に炎が燃え上がるのを目撃するまでについては、公判廷での供述とほぼ同様であるが、被告人石川は最後まで明確な返答をしなかったことから、自ら「切離するぞ。」と同被告人に告げると、同被告人がこれに「そんならしてもらおうかね。」と答え、そこで食堂車の切離が決定した旨述べており、最終的な切離決定は被告人辻自らが下したとしている点で公判廷での供述とは若干異なるものとなっている。そこで、右各供述や検察官調書の内容の信用性について検討すると、被告人石川が列車をそのままトンネル外まで走行させることができると考えた根拠は、出火原因や火源は分らないけれども台車下には異常がなく、外部にもそれ程煙も漂っていないということにすぎなかったのであるが、同被告人が台車下を確認に行った動機に照らすと、そこに発煙も火炎もなかったことから、出火場所等についての疑問は一層強くなった筈であり、しかも、同被告人は、列車のトンネル内における停止位置、脱出に必要な走行距離や時間も正確に把握していなかったことからすれば、右のような理由だけで、列車がトンネル外まで安全に走行できるとの判断を確信的に形成していたとは容易に考え難く(同被告人自身も、当公判廷において、トンネル外まで無事走行できるかについては、全く自信がなかったことを供述している。)、前記認定の台車下の点検中における阿部乗務掛とのやりとりも、同被告人が火災の実相をつかみかね、その対処方の選択に苦慮していた事実を如実に示している。結局、この時点においては、自らの消火作業によっても鎖火の見通しを持つことができなかったことから、火災列車をトンネル外まで走行させるほかないものと考え、かつ、それも可能ではないかとの期待感を持った程度にすぎなかったものと認められる。このように、被告人石川の考えていた措置が、漠然とした期待感から出たもので、その安全性の根拠は極めて希薄なものであったことからすると、こと列車の運行に関しては専門家として、一目も二目も置かざるをえない被告人辻に対し、単なる提案の域を超え、積極的にその旨を主張できたとは容易に考え難いところである。一方、被告人辻は、食堂車まで火災状況の確認に来たが、その確認状況は、前記認定の程度にとどまっていたのであるから、被告人石川と出会った際、事後の処置方の選択にあたって重要な要素となる出火原因、燃焼規模などの火災の性状、さらには消火の能否について被告人石川に質問したと考えるのが合理的で、被告人石川の供述に、この点について全く触れるところがないのはかえって不自然である。そして、被告人辻の右のような質問に対し、被告人石川が、その返答に窮したというのも、同被告人の前記認定のような火災状況の把握の程度からすると充分うなづけるところである。ただ、前掲尾山の検察官調書によれば、被告人辻に先行して食堂車の火災状況を確認に向かった同人は、食堂車後部の山側で二、三人の者が消火作業らしいことをしているのを見て機関車に報告に戻ろうとした時、四号車後部デッキ付近で被告人辻と出会い、同被告人から「切離し」と告げられ、そのまま機関車へ戻った旨の供述があり(第四項)、右供述内容には、両名の出会った時点が、被告人辻が機関車から食堂車を目指してその出入口手前まで来た時と解釈する余地を残すことから、被告人辻は火災状況を確認する以前から既に食堂車を切離することを考えていたのではないかとの疑いを抱かせるのであるが、同被告人が火災状況を全く確認しないままそのような判断をしていたということは常識的には考えられないことであるうえ、右尾山の、食堂車へ火災状況の確認に向かってから機関車に戻るまでの行動に関する供述自体が極めてあいまいなもので、例えば、食堂車内での消火作業に加わったか否かの点につき、捜査段階からその供述内容を二転、三転させるなどそのまま信用することはできないものである。この点に関連して、右尾山は、前記認定のように、午前一時二八分ころ、機関車停止位置よりさらに約八三メートル前方の大型待避所内のT・Bから火災車両を切離している旨今庄駅に連絡しており、この事実は証拠上動かし難いのであるが、同人が被告人両名による切離決定(午前一時二一分すぎころ)後に被告人辻からこれを聞いて右連絡に向かったとしても、右尾山が機関車に戻るまでに要した時間(前掲尾山の供述部分によると、同人は、車内を小走りで戻ったことが認められ、これを《証拠省略》に照らすと、せいぜい二分余りと認められる。)を差し引き、機関車から携帯無線機を持ち出し、右T・Bにこれをセットして通信を図る時間として四分余りの余裕が認められ、時間的に矛盾するものはない。そうすると、同人の食堂車前部出入口に到着してから機関車へ戻るまでの間の行動は必ずしも明らかでないにしても、被告人両名による切離決定時まで食堂車周辺におり、右決定の事実を被告人辻から告げられて機関車へ戻ったとみるのが合理的である。以上のことから、被告人両名の協議の模様に関しては、おおむね、被告人辻の述べるとおりであると認められるが、結局、右協議においては、火災の性状、消火の態否など事後措置の選択にあたって重要な事項に関する実質的な意見交換は行われないまま、最終的には、被告人辻が、それまでに現認してきた火災状況及び被告人石川の火災鎮火への見通しを欠如した姿勢から、火災の鎮火は困難と判断したうえ、食堂車を切離する旨被告人石川に告げ、同被告人は、それまでに抱いていた食堂車をトンネル外まで走行させることへの期待感から、被告人辻の言葉を、食堂車と二号車間を切離し、食堂車を最後部として列車を走行させるものと理解し、これに同調したと認められる。

なお、被告人辻の、被告人石川との協議中に食堂車外壁に炎の燃え上がるのを目撃したとの前記供述は、被告人石川や当時その付近に集まっていた他の乗務員らにこれを目撃した者がおらず、被告人辻も、協議中にこのことを被告人石川に何ら告げていないことや、前記認定の火災の進展度からしても右協議の時点において食堂車の外壁が燃え上がる可能性は少なく、さらに、第一次切離作業の際同様な炎を見たという者もいないことなどからすると、右供述は信用できないと言わざるをえない(ただ、検察官は、被告人辻の供述するような炎が発生すれば、燃焼箇所に必ず燃焼痕が残る筈であるとして右供述を排斥するが、右燃焼痕の存否を明らかにする証拠はない。)。

3  第一次切離完了後の被告人両名の行動

第一次切離完了後の被告人両名の行動に関しても、被告人両名の各供述は殆ど全面的に異なるものとなっている。被告人石川の当公判廷における供述の要旨は、「第一次切離完了後、直ちに前部列車の運転を再開すべく、被告人辻も交えて残留車両と前部列車への乗務員配置を協議し、同被告人に対し今庄口まで列車を運転するよう依頼すると、同被告人は『よし、わかった。』と答えて機関車に走っていった。ところが、前部列車への消火器の積み込み作業が終らないうちに同列車は突然走行を開始し、伊藤乗務掛しか同列車に乗り込ませることができなかった。しかし、前部列車はそのままトンネル外まで走行するものと考え、残留車両の乗客の避難活動にあたろうとしたところ、広瀬乗務指導係から前部列車がトンネル内で停止していることを知らされ、驚いて同人とともに五〇ないし六〇メートル前方に進むと、食堂車と四号車の山側連結部で切離作業をしている被告人辻を発見した。そこで、『何をしてるんだ。』と同被告人を詰問すると、同被告人は、『自連さえ切れればこのまま行くんだ。』と答えながら自動連結器の解放てこをがちゃがちゃやっていた。しかし、連結器は解錠できない様子だったので、同被告人に、『このまま今庄へ行けるか。』と尋ねると、同被告人は、『ようし行く。』と言って前方へ走って行ったので、自分も残留車両に引き返した。」というもので、これに対する被告人辻の当公判廷における供述の要旨は、「第一次切離完了後、残留車両と食堂車との間に二〇ないし三〇メートルの安全距離を取ったうえ食堂車と四号車間の切離作業に移ろうと思い、携帯無線機で作田指導機関士に列車の走行を依頼したが応答がなく、上り線軌道上を移動しながら一分以上にわたって交信を図ったが、依然応答がないため、自ら列車を走行させるため機関車に戻り、運転を開始したところ、尾山機関助士の指示で携帯電話機を設置してある大型待避所の横まで運転して停止した。それから、機関車備え付けの手歯止め二個のうち一個は作田指導機関士に渡し、残りの一個を持って食堂車に向かい、右手歯止めを食堂車最前部の山側第一軸目の後方にかませ、食堂車と四号車の連結部を山側から切離し始めたが、その際、既に、海側では乗務員二名位が切離作業を開始していた。この時点で、火災は、炎が食堂車の窓から断続的に吹き出す程に進行していたため、蒸気暖房用ホースの栓を閉じ、自動連結器を解錠するだけで、そのほかの連結機器は列車の走行により引きちぎろうと考え、海側で連結機器を取り外そうとしている乗務員にも、『ほんなもん、もう放っとけ、自連切って引きちぎるぞ。』と伝え、その後、自動連結器の解錠を確認するため機関車に戻り、作田指導機関士に列車の走行を依頼したところでき電停止となった。」というものである。そこで、以下、当裁判所の認定した列車乗務員のだれかによる第二次切離の存在及び第三次切離の切離箇所との関連において、関係証拠から認められる第一次切離完了後の被告人両名の行動を説明する。

第二次切離の存在に関しては、第一次切離に直接関与した被告人両名、広瀬乗務指導掛、伊藤乗務掛及び牛膓公安員並びにその際食堂車周辺にいた阿部乗務掛及び佐藤公安班長のうち、被告人石川及び広瀬乗務指導掛を除いては、いずれも捜査段階からこれを否定する趣旨の供述をなし、被告人石川及び広瀬乗務指導掛の両名も、公判廷においては、同様にこれを強く否定するところであるが、《証拠省略》によれば、午前八時ころには、既に食堂車と四号車の連結部の電気暖房用ジャンパー線が四号車から外されて食堂車のジャンパー線用栓受けに納められていたこと、午前一〇時三〇分ころ、トンネル内に残留していた前部列車を四号車と五号車間で切離したうえトンネル外に引き出すことになり、敦賀客貨車区助役田中幹乃の指示により同区車両検査掛中嶋太喜夫及び同区車両掛前田啓二の両名がその作業にあたったが、その際、「きたぐに」の機関車に備え付けられていた二個の手歯止めが四号車の山側最前部の車輪に前後からかまされていたことが認められる。いうまでもなく、車両用の手歯止めは、切離した車両の転動を防止することを目的とし、孤立させる車両の車輪にかませるものであるから、右の四号車の車輪部にあった手歯止めが被告人辻によってかまされたものであるとすれば、第三次切離は四号車と五号車の連結部で行われたことになり、さらに、第三次切離の切離箇所が右のとおりであるとすると、食堂車と四号車連結部の電気暖房用ジャンパー線が外されていた事実は、第三次切離とは別の機会に、食堂車、四号車間での切離作業が存在したことを推認させるものである。これに対する被告人辻の手歯止め設置位置、その数に関する供述は前記のとおりで、同被告人の弁護人も、現場に残された右手歯止めは、事故後救援に駆け付けた国鉄職員によりかまされた疑いが強いものである旨主張している。確かに、《証拠省略》によれば、午前四時すぎ、敦賀口より第一次の救援列車が到着し、それ以後、前部列車の引き出しが決定されるまでの間には、敦賀口から二本、今庄口からは三本の救援列車がトンネル内に入り、さらに斜坑からも救援隊が入るなど、多数の国鉄職員が「きたぐに」の周辺で作業するようになったことが認められるが、これらの者は、いずれも火災の鎮火、乗客及び乗務員らの救出、遺体の収容を第一の目的としてこれに奔走していたもので、そもそも車輪にかまされていた手歯止めなどに関心を向ける可能性は薄く、そうでなくとも、手歯止めの設置箇所の変更は、車両を切離する場合を除いてまず考えられないところ、多数の救援関係職員のうちで、四号車と五号車の切離作業に関与した者は、証拠上、前記の田中ら三名のほかに認められないうえ、被告人辻の供述を前提にして救援関係職員の一部が同被告人のかませた手歯止めの位置を変えたものと仮定すると、さらにもう一個の手歯止めは、各客車に一個ずつ備わっている手歯止めを使用しないで、わざわざ機関車付近にあったと考えられる手歯止めを持ち運んできてかませたということになりいかにも不自然である。第三次切離の現場に集まった尾山機関助士、被告人石川及び広瀬乗務指導掛の三名は、右の切離箇所について、いずれも食堂車と四号車間であった旨供述しているが、いずれも確たる根拠を示しておらず、火災が進行し、事態の緊迫化が進む状況のなかで、右三名が切離箇所を誤認する可能性もあったと考えられるうえに、かえって、右尾山は、第三次切離に向かった被告人辻が手歯止めを二個持っていた旨公判廷で供述しているものである。

ところで、第一次切離の際中に四号車後部デッキに退避し、前部列車が七〇数メートル走行したのちまで同所にいた食堂車男子従業員のうち、田沢コック長は、同人の前掲供述部分において、「喫煙室の方で二、三人の乗務員の『はずれた』とか『はずれない』とかの声がしており、そのあと、私の立っているデッキの方でも短時間であったが同様に二、三人の乗務員の『切れない』とか『このまま引張れ』とかいう声が聞え、それからすぐ列車が発車して再び止まった。」旨供述し、また、小鹿も、同人の前掲供述部分において、「四号車後部デッキ山側から車外に身を乗り出して喫煙室を見ると、同室付近では複数の人が『はずれる』とか『はずれない』とか言いながら作業をしており、暫くすると列車がぐらっとなり、その後、四号車付近で『はずれない』とか『もう切れん』とか言いながら何か作業をしている三、四人の乗務員を見たがそのうちに列車が走行し始め、一〇メートル以上走行して再び止まった。」旨供述しており、右各供述は、直接切離作業を現認したものではないにしても、少なくとも、第一次切離完了後、乗務員数名による食堂車と四号車間の切離作業が行われ、その完了をみないうちに前部列車が走行し始めたことを充分窺わせるものである。

以上の事実を総合すると、第一次切離完了後の食堂車の孤立作業に関しては、第一次切離完了に引き続いて乗務員数名により食堂車、四号車間の第二次切離作業が開始され(これがいかなる形態で行われたかはのちに認定するとおりである。)、これが完了しないまま前部列車が七〇数メートル走行して停止し、機関車備え付けの手歯止め二個を持って食堂車の孤立作業に向かった被告人辻が四号車、五号車間を食堂車、四号車間と錯覚し、右手歯止めを四号車の山側最前部の車輪に前後からかませて切離作業を開始したと認めるのが最も合理的であり、被告人辻のこのような切離箇所の錯覚の可能性は、トンネル内の暗闇下で視界も利かず、さらに、火災の進展に伴う事態の緊迫化に対する焦躁感を考慮に入れれば、充分予想できるところである。

ところで、検察官は、第二次切離の開始及び中断されるまでの経緯につき、第一次切離完了後、食堂車、四号車連結部を切離するものと考えてその海側にやって来た広瀬乗務指導掛及び伊藤乗務掛の両名に対し、同所山側にいた被告人辻が、同連結部を切離するよう指示したうえ、自らも切離作業を開始しようとしたところ、被告人石川もこれに加わり、結局、合計四名で切離作業を開始したが、容易に自動連結器が解錠できず、やがて濃煙がトンネル内に充満してきたことからこれを断念したものである旨主張し、その証拠として、被告人石川の49・7・3付及び広瀬芳雄の49・7・12付検察官に対する各供述調書をあげている。ところが、被告人両名は勿論、広瀬乗務指導掛も当公判廷においてはこれと異なり、第二次切離の存在を否定する供述をしていることは前記のとおりで、同乗務指導掛は、前部列車が七〇数メートル走行後これを追って前方へ進み、食堂車と四号車の海側連結部まで来たところ、被告人辻か尾山機関助士かから自動連結器を解錠するように言われたというのである。

そこで、右各調書の信用性を検討するにあたり、その作成経緯についてみると、両調書の作成者である前掲証人矢野検察官の当公判廷における供述によれば、(イ) 本件は、昭和四八年暮れに福井地方検察庁検察官に送致されたところ、同証人は、翌四九年四月より被告人両名をはじめとする乗務員及び公安職員からの事情聴取を開始したが、この時点では、同証人自身、被告人両名らによって行われた切離作業は、当裁判所の認定した第一次切離のほかに、前部列車が七〇数メートル進行したのちに被告人辻を中心として食堂車、四号車間で行われた切離作業の二回だけであるとの心証を抱いていたため、作成された各調書も、切離作業の時期、箇所及び回数に関して、おおむね被告人両名の当公判廷における供述と同内容のものとなっていた(広瀬乗務指導掛の調書の内容も同人の公判廷における供述とほぼ一致していた。)、(ロ) ところが、同年六月、同証人は、本件捜査の主任検察官北側勝から、本件事故に対する国鉄監査委員会の報告書においては、被告人両名らによる切離作業の回数が都合三回であると認定されている事実を指摘され、関係記録を再検討した結果、切離作業は三回行われたとの心証を抱くに至った、(ハ) そこで、同証人は、被告人両名をはじめとする乗務員及び公安職員から再度事情を聴取したところ、同月一八日の広瀬乗務指導掛の取調べにおいて、同人は、切離作業の回数は二回であるとの供述を維持しながらも、従前、前部列車が七〇数メートル走行したのちの切離作業と供述していた食堂車、四号車間の切離作業を、第一次切離完了後、二号車、食堂車間に五メートル位の間隔を生じた際の状況として供述するようになり、また、同月二三日の被告人石川の取調べにおいて、同被告人は、同様に切離作業の回数は二回であることを前提としながらも、従前、二回目の切離作業として供述していた前部列車が七〇数メートル走行したのちの食堂車、四号車連結部における被告人辻に対する列車走行再開への説得の事実(当公判廷において供述するところと同内容のもの)を訂正し、食堂車、四号車間の切離作業をしている被告人辻を発見した際には、広瀬乗務指導掛及び伊藤乗務掛に右車両間を切離するよう指示し、自らも切離作業に加わったが、作業がはかどらないことからこれを断念した旨供述を変更するに至った(なお、被告人石川の関係でのみ取り調べた同被告人の49・6・23付検察官に対する供述調書によれば、同被告人は、右切離作業を断念したのちの状況として、被告人辻に対し食堂車を連結したまま列車を走行させるよう促し、走行し始めた前部列車に伊藤乗務掛を乗車させ、自らは残留車両の乗客の避難誘導にあたったと供述していることが認められる。)、(ニ) そして、これに続き、前記検察官の主張に沿う被告人石川の49・7・3付及び広瀬乗務指導掛の49・7・12付各検察官調書が作成された、(ホ) 一方、この間、被告人辻は、同証人の再度の取調べに対しても供述内容を変化させることはなく、また、伊藤乗務掛も、当裁判所の認定する第二次切離への関与の事実を否定していたことの各事実を認めることができる。右のように、右両検察官調書において供述されている第一次切離完了に引き続く食堂車、四号車間の切離作業の事実は、担当検察官の心証の変化に伴い、事件後一年半余り経過した時点での取調べで現れてきたものであるが、被告人石川の右検察官調書が同人の六月二三日の取調べにおける供述内容を、また、広瀬乗務指導掛の右検察官調書が同人の六月一八日の取調べにおける供述内容を基礎としたものであることは、供述内容の変遷経過から明らかなところである。しかしながら、矢野証人も供述するように、被告人石川の右六月二三日の取調べで供述されている、前部列車が七〇数メートル走行した後の時点における被告人石川の広瀬乗務指導掛及び伊藤乗務掛に対する食堂車、四号車間の切離命令の事実は、これまでの認定事実に照らせば、切離命令の存在及び切離作業の具体的状況のいずれもが極めて疑わしいものであるところ(前記のように、同被告人の49・6・23付調書においては、そのあと引き続いて前部列車がトンネル内を走行していったというような客観的事実と全く異なる供述をしていることからすると、同被告人の右取調べ時の記憶はかなり混乱していたことが認められる。)、同被告人の右49・7・3付検察官調書は、右のような切離命令及び切離作業が存在したことを当然の前提のようにしてその時期だけを伊藤乗務掛及び広瀬乗務指導掛の供述する状況事実に基づいて修正したにすぎないものであり、また、広瀬乗務指導掛の六月一八日の取調べにおける供述内容は、前部列車の七〇数メートル走行という客観的事実には触れないまま、これまで前部列車が七〇数メートル走行したのちの切離作業として供述してきた事実を、第一次切離完了後、前部列車と残留車両との間に五メートル位の間隔が生じた際の状況として(従って、前部列車が七〇数メートル走行したのちの切離作業への関与の事実が不明のまま)供述され、同人の49・7・12付検察官調書では、そこに何らの具体的な説明もないまま、右の第一次切離完了後の切離作業にも被告人石川の切離命令が介在したこと及び伊藤乗務掛が同切離作業に加わっていたことが付加されているもので、このように供述が変遷してきた経緯からしても右両検察官調書を全面的に信用することはできない。しかも、右両検察官調書の供述内容を検討してみると、右両検察官調書においては、被告人石川及び広瀬乗務指導掛の両名が第二次切離に関与し、あるいは、同被告人がこの命令を下す切っ掛けとなったのは、被告人辻の指示、もしくは、同被告人がこの切離に着手しようとしていたということにあり、しかも、その切離作業は困難を極めたため、同被告人ともどもこれを断念したもので、そのうえ、被告人石川の右検察官調書によれば、右断念後の措置として、同被告人から被告人辻に対する前部列車の走行再開、トンネル外脱出の要請と、同被告人のこれに対する了承の事実が供述されている(検察官は、被告人石川の右検察官調書で供述されている同被告人からの走行再開の要請と被告人辻の了承の事実を取り上げず、第二次切離断念後、被告人両名は以後の措置についての意見調整を怠ったため、被告人辻は、右断念後も食堂車と残留車両との安全距離を保ったうえで、再度、切離作業を行おうと考えていたと主張している。)。しかしながら、仮に、被告人辻が右両検察官調書で供述されているような状況で第二次切離を開始し、間もなく自動連結器を解錠できないことからこれを断念したとするならば、その後、同被告人が前部列車を七〇数メートル走行させただけで、またも食堂車孤立のために第三次切離にかかった理由を合理的に説明することができないこととなる。もっとも、被告人辻が第二次切離に関与したことと、同被告人が安全距離を確保するため前部列車を七〇数メートル走行させたという事実を矛盾なく結び付けるものとして、同被告人が、第一次切離完了後、安全距離を確保することを失念して直ちに第二次切離を開始し、途中、これに気付いて一時作業を中断し、前部列車を走行させて安全距離を取ったということが想定できなくもないが、このような状況は、右両検察官調書からは全く窺うことはできない。以上のように、被告人石川及び広乗務指導掛の右各検察官調書中で供述されている第二次切離の状況は、その供述がなされるまでの経緯及び供述の内容からして到底そのまま信用できず、とりわけ、被告人辻の第二次切離への関与の事実は否定せざるをえないものである。検察官は、第一次切離が午前一時二〇分ころから約一〇分間(午前一時三〇分ころ)で完了し、その後、前部列車が走行を開始したのが午前一時三八分五七秒であるから、被告人辻が公判廷で供述している第一次切離完了後の携帯無線機による機関車への交信時分(約一分)及び機関車へ戻るまでの所要時分(大目にみても約三分)だけでは、前部列車の走行開始までに約五分間の空白時間を生じ、この空白時間こそが同被告人の第二次切離関与の証左となるものである旨主張している。しかし、第一次切離の開始時刻及びその所要時間は、「きたぐに」に装置されていたタコグラフの解析により得られた列車の緊急停止、走行再開時間をもとに、被告人らの行動を辿った結果推測される概算数字の域を出ないもので、現に、検察官の主張する切離所要時間一〇分というのも、被告人両名及び牛膓公安員の、切離作業に約一〇分費したという感覚的な供述を拠り所にしているにすぎず、午前一時三〇分ころを絶対的な第一次切離完了時刻としたうえ、たかだか五分程度の空白時間の存在をもって、被告人辻が第二次切離に関与したと主張することは合理性に乏しいものと言わざるをえない。

このようにみてくると、客観的に存在したと認められる第二次切離の具体的状況、その関与者については、直接これを明らかにする証拠が存しないことになるが、前掲証人広瀬、同伊藤及び同牛膓の各供述部分によれば、第一次切離を開始するにあたっての被告人石川の切離命令は、具体的な作業手順の指示内容に明確を欠いたため、第一次切離当時、食堂車周辺にいた列車乗務員及び公安職員は、同切離完了後の処置についてはそれぞれの思惑を抱き、とくに広瀬乗務指導掛及び伊藤乗務掛の両名は、同切離完了後、直ちに食堂車、四号車間を切離しようとしていた疑いが強いこと、第一次切離の際、中心的役割を果した牛膓公安員が、第二次切離に全く関与しておらず、そのうえ、同切離が行われたことさえも認識していなかった事実が認められ、さらに、被告人石川は、前記認定のように、被告人辻との協議後においては、前部列車をトンネル外に走行する考えでいたもので、同被告人からの指示を受けない限り、自ら積極的に第二次切離に関与する可能性も少ないと考えられることからすると、第二次切離は、被告人石川の関知しないうちに列車乗務員の誰かによって開始され、その完了前に、同被告人によって人員の割り振り、前部列車への消火器の積み込み等の命令が出されたため、中止されたと認めるのが最も合理的である。そして、第一次切離完了後、前部列車を走行させるため機関車に向かうまでの被告人辻の行動としては、これまで認定してきた事実からして、同被告人が供述するとおり、暫くの間、安全距離確保のために前部列車の走行を依頼すべく、携帯無線機で作田指導機関士との交信に努めていたと認められる。これに対し、被告人石川が供述するところの、第一次切離完了後における被告人辻を交じえての協議、前部列車走行再開の依頼、被告人辻の了承の各事実は、その後の被告人辻の行動と全く矛盾するものであり、当時その周辺にいたと推認される乗務員らのなかで、佐藤公安班長ただ一人が、被告人石川の右供述を肯定する趣旨の供述をしているが(前掲証人佐藤の供述部分)、これもそれ程明瞭なものではなく、しかも、同人は、捜査段階においては、これと異なる供述をしていたことも窺われることから、右供述部分をそのまま信用することもできず、被告人辻が前部列車に向かう際、被告人石川と会話を交した可能性まで否定するものではないが、この時点で、被告人辻が列車の走行再開を了承していたという事実は到底認め難いものである。

また、第三次切離の際の被告人両名のやり取りについて、被告人辻は、被告人石川が切離現場に駆け付けて来たこと自体記憶しておらず、また、その場にいた広瀬乗務指導掛及び尾山機関助士も、被告人両名の接触状況について殆ど供述していないことから、被告人石川の供述の信用性の検討を中心にこれを認定していかざるをえないが、前記認定のように、同被告人が実質的な切離作業に荷担せず、切離作業も完了しないうちに広瀬乗務指導掛に残留車両に戻るように指示し、自らも残留車両に戻っていることからすると、同被告人は、被告人辻とのやり取りの結果、被告人辻が前部列車の走行を間もなく再開させるとの認識のもとに残留車両に戻って行ったものと認めるのが相当である。

第三被告人両名に対する業務上過失責任の存否

一  検察官の主張とその根拠

検察官の主張する被告人両名の過失の内容は、「きたぐに」が北陸トンネル内で緊急停止し、被告人石川が火災を現認した時点において、いたずらに列車をトンネル内に停止させたままにしておけば、火災の進行によって熱気と濃煙をトンネル内に充満させ、加えて、車両の炎上による発炎により架線が溶断してき電停止になり、その結果、列車の走行を不能にさせ、逃げ場を失った多数の乗客らが死傷するに至るという重大な危険のあることが容易に予見できるところであり、右予見に基づく結果回避措置として、被告人辻が第三次切離を開始した時点までにおいて、互いに一致協力のうえ速やかに列車の走行を再開してトンネル外への脱出をはかりながら徹底した消火作業による火災の鎮火に努めることが要求され、専務車掌である被告人石川にあっては、自ら、あるいは、他の列車乗務員らを指揮して火災鎮火のための消火活動にあたる一方、被告人辻に対しては列車の走行再開を強調、説得すべき注意義務があり、機関士である被告人辻にあっては、列車の走行を速やかに再開する一方、被告人石川に対して消火作業を継続し火災を鎮火するよう強調、説得すべき注意義務があったというものである。なお、検察官は、公訴事実に対する釈明及び冒頭陳述において、右過失の内容につき、さらに被告人両名の注意義務違反を分説するとして、被告人石川の火災発見時から被告人辻の第三次切離開始時までの間を四時点に区分し、その各時点での被告人両名に要求される具体的な行為を指摘しているが、右のように、検察官が本件において主張する被告人両名の注意義務は、一定時間内において、列車の走行を速やかに再開してトンネル外への脱出をはかりつつ火災を鎮火させるという併行作業の選択遂行であり、従って、検察官の区分した右四時点における被告人両名の各行為は、その注意義務に違背した具体的過失行為を経時的に分説しているにすぎないもので、これが、各時点ごとに別個の注意義務の存在を主張しているものでないことは明らかである。そして、検察官は、被告人両名に右のような注意義務が要求される根拠として、(イ) 前記「両局処置手順」では、いずれも、トンネル内、橋りょう上などで列車火災が発生した場合には、同所での列車停止を避ける(金鉄局の処置手順では「なるべく」避ける)よう定めていたこと、(ロ) この規定は、トンネル内は暗くて足場が悪いため、消火作業や乗客の避難誘導、あるいは、切離作業に困難を伴い、また、長時間トンネル内に停車していれば、煙による影響も大きいことを理由として設けられたものであり、このことは、日常の指導、訓練により各乗務員にも充分徹底されていたこと、(ハ) 当初喫煙室内の火災は、台車下にまでは達しておらず、また、急激に拡大燃焼する性状のものでもなく、フラッシュオーバーに達して初期消火による火災の鎮火が不可能な状態になるまでには、列車の緊急停止後から少なくとも二五分以上あり、被告人辻が第三次切離に着手した時点までは列車のトンネル外への走行脱出、火災の鎮火のいずれもが可能であったことの三点を挙げている。

二  火災の鎮火及び火災車両連結のままでのトンネル外への走行脱出の客観的可能性

本件事故は、前記認定の死傷者発生までの経緯からしても明らかなとおり、列車のトンネル内滞留と食堂車の炎上という二要素が競合して発生したものであり、右二要素のいずれか一方が除去されていれば本件事故の発生もまた回避できたものであるところ、検察官の前記主張は、事故回避のための措置として、右二要素の同時除去を要求するものである。そこで、検察官の主張するように、第三次切離開始時点までにおいてそれらが客観的に遂行可能であったか否かについて検討する。

1  喫煙室内の火災鎮火について

本件火災は、前記認定のとおり、喫煙室内のコの字型長椅子下部の床面に接していた電気暖房器の配線部分での漏電を出火原因とするものであり、被告人石川が消火にあたった時点での火災の進行程度は、いまだ、燃焼部分に関する限り右長椅子下の床面及びこれを囲繞する右長椅子裏布などの部分にとどまり、前掲証人糸谷の当公判廷における供述(本件火災の鎮火の難易に関する部分)に照らせば、燃焼部分に直接バケツの水数杯をかけることによって鎮火することが可能な程度のものであったと認められるが、この時点では、同室内には既に刺激性の強い煙が多量に充満し、また、同被告人の消火作業中止後二分程して、被告人辻が二号車前部デッキから喫煙室内を見た時点においても、同室内では多量の発煙が継続し、室内の状況確認は困難であったうえに、出火場所が右長椅子等で遮蔽されていた箇所であり、加えて、後記のように、それまで火災の際に発生する煙に対する特別な指導、訓練を受けていなかった被告人両名が、燃焼部分を確認したうえそこへ的確に消火液や水を投下するということは相当に困難であったと判断される。しかしながら、被告人両名が事後の措置について協議を開始したころの喫煙室内の火災は、依然コの字型長椅子下の床面及びこれを囲繞する同長椅子裏布などの燃焼にとどまっていたと推認されるところから、同椅子周辺の主な可燃物(椅子の詰物や内張板、床面)を考慮に入れても、本件暖房器への通電を切ったうえ、二号車前部デッキ及び食堂部分から喫煙室内のコの字型長椅子方向を目掛けて、多量の消火液(なお、車載消火器の能力単位については先に認定したとおりである。)や調理用水を継続的に投下すれば、喫煙室の面積が約三・八平方メートルにすぎないことから、投下された消火液や水は早期に燃焼箇所周辺に浸潤し、火災を鎮火させることができたものと考えられる。即ち、前記認定のように、被告人両名の協議開始時において、(イ) 「きたぐに」には使用可能な車載消火器が二一本(車載消火器二四本のうち、ほぼ二本は既に使用済みで、もう一本は食堂車乗務員室に備え付けられていて事実上その使用は困難であった。)有り、しかも、伊藤、阿部各乗務掛らにより少なくとも二本の消火器が喫煙室付近に運ばれて来ており、そのうえ、食堂車には多量の調理用水が保有され(当夜の食堂車の営業が始発時ころから午後一一時ころまでの夜間一時間程度にすぎなかったことから、始発時に満水にされた食堂車タンクには多量の水が残っていたと推認される。)、これを洗い罐やバケツ等に汲んで消火用水として利用することも可能であったこと、(ロ) 被告人石川が消火作業を中止したのは、喫煙室の台車下を点検するためであり、この時点において、食堂部分から喫煙室内に向けての消火作業は、容易でないとはいえ、いまだ決して不可能ではなかったこと、(ハ) 被告人辻が二号車前部デッキから喫煙室内を見た際も、同室内に踏み込んで火源を確認することまではできなかったとしても、同デッキから喫煙室内に向けて消火器を放射することは可能であったこと(この点は、被告人辻が当公判廷において自認するところである。)、(ニ) 食堂車内で最初に消火作業にあたった田沢コック長に火災状況を尋ねて、当初コの字型長椅子下周辺から発炎していたことを知れば、同所へ集中的に消火液や水を投下し、また、同所に設置されている本件暖房器と出火原因との関係を疑い、あるいは、火災への影響を慮って同暖房器への通電を断つことのいずれも可能であったこと、(ホ) 被告人両名の協議開始時には、その周辺に数人の列車乗務員及び公安職員が集合しており、また、食堂車内には消火作業への協力を期待できる食堂車男子従業員三名がとどまっていて、その付近に尾山機関助士もいたと認められることから、喫煙室内への消火器の放射、調理用水の取水、さらには、各車両に搭載されている消火器の調達、調理室給水栓からの水の運搬、本件暖房器への通電の切断など消火作業に必要な人員は確保されていたことの各事情に照らすと、被告人両名が事後の措置について協議を開始した時点では、その全精力を消火作業の一点に集中してこれに着手し継続すれば、喫煙室内の火災は鎮火できたものと判断できる。しかしながら、前記認定のとおり、午前一時二五分前後ころには、喫煙室内から流出した煙が食堂部分にも多量に充満し始め、食堂車通路、調理室に退避していた食堂車男子従業員も四号車後部デッキに避難するに至ったことに照らせば、この時点においては、喫煙室内に向けた消火作業は、前記消火用材を準備してもそれ自体も早不可能になったものと認められる。

なお、検察官は、いわゆる初期消火(消火器などによる消火)の限界をフラッシュオーバーに達した時点と主張しているが、《証拠省略》によれば、火災がフラッシュオーバーの段階に達した時点で初期消火が不可能なことは明らかであるが、フラッシュオーバーは、必ずしも初期消火の限界を画する概念ではなく、その限界は、あくまでも、燃焼部位、発生した煙及びガスなど消火作業に支障を及ぼす諸事情を総合的に考慮して判断されるべきもので、火災の進行がフラッシュオーバーの段階に達する以前においても、初期消火は不能とされる場合の存することが認められるので、検察官のこの主張は妥当でない。

2  火災車両連結のままでのトンネル外走行脱出について

《証拠省略》によれば、後に詳述するように、本件事故の発生まで、国鉄はもとより火災関係の専門学者においても、列車のような動体に発生した火災に関する研究は殆ど未開拓の状況にあり、ましてや、トンネルという特異な構造物内における列車の走行と火災の進展との関係については全く解明されていなかったもので、国鉄では、本件事故を契機に、部外からも火災、建築学など関連分野の専門学者を多数招へいして、鉄道火災対策技術委員会(以下「委員会」という)を設置し、列車の火災対策及び長大トンネルその他の鉄道施設の火災対策について総合的に調査、審議し、その対策技術の確立を図ることとしたが、右「委員会」は、まさにこの分野における研究の嚆矢をなすものであったことが認められる。《証拠省略》によれば、右「委員会」では、二年余りにわたって調査、審議を続け、その間、部外委員から出された火災列車のトンネル内走行の可能性を探るには実物による火災列車走行試験が不可欠であるとの意見により、二度にわたって世界的にも例をみない火災列車の走行試験を実施し、同試験から得られた資料を基礎にその他の調査、審議の結果をも総合分析し、昭和五〇年四月、「鉄道火災対策技術委員会報告書」(以下「委員会報告書」という)において、一定条件の下で一定時分火災列車がトンネル内を安全に走行できるとの見解を示すに至ったことが認められる。もっとも、右の列車火災走行試験は、「きたぐに」が食堂車を連結したまま北陸トンネル内を安全に走行脱出できたか否かを究明することを直接の目的としたものではなく、また、同試験において設定された火災原因、搭載可燃物総量、トンネル内走行距離などの諸条件は極めて限定されたものであることから、「委員会報告書」の見解を本件事故にそのまま当てはめることができないことは言うまでもないが、火災列車のトンネル内走行に関する科学的資料としては、右の「委員会報告書」が唯一のものである現状においては、「きたぐに」が火災車両を連結したまま北陸トンネルを安全に走行脱出できたか否かの判断も、本件事故態様が、どこまで「委員会報告書」で検討された事項の射程距離内にあるといえるのか、この点に考慮を払いつつ判断するほかない。

(一) 「委員会」における火災列車走行試験結果の検討

《証拠省略》によれば、以下の事実を認めることができる。

右「委員会」は、昭和四七年一二月一日に設置されたが、八か月余りの審議を経たのち、トンネル内での火災列車走行試験の前段階として、列車の走行そのものが火災に与える影響を解明するため、同四八年八月、非トンネル区間での火災列車走行試験を実施し、その結果、(イ) 難燃化車両は通常考え得る程度の火源に対しては難燃の効果があること、(ロ) 車端部を防火構造化した車両は、火災の延焼防止に非常に効果があること、(ハ) 床板が鋼板製である場合には、火災車を含めてすべての車両の床下部は火災の影響を殆ど受けず、走り装置についても異常は認められないこと、(ニ) 火災車の窓が「閉」の状態では、定置の場合と比べても走行により火勢の拡大が著しく促進されることはないことなどの事実を解明したうえ、次に、同四九年一〇月、トンネル区間における左の(1)ないし(3)の概要の火災列車走行試験を実施し、左の(4)ないし(6)の試験結果を得た。

(1) 試験条件

(2) 試験工程

項目

第1試験

第2試験

(1)着火時刻

11時05分

11時05分

(2)フラッシュオーバー

着火後約3分30秒

着火後約4分

(3)発車

着火後  3分48秒

着火後  4分36秒

(4)停車

着火後  8分09秒

着火後  9分18秒

(5)列車走行時分

発車~トンネル進入

45秒

50秒

トンネル内走行(60K/h)

3分00秒

3分01秒

トンネル進出~停車

36秒

51秒

全走行時間

4分21秒

4分42秒

(6)最高速度

61km/h

61km/h

(7)消火開始

着火後  9分00秒

着火後  9分30秒

(8)鎮火

着火後 19分

着火後 15分

(3) 気象状況

項目

第1試験

第2試験

(1)気温

14.6℃

16.8℃

(2)湿度

40%

44%

(3)風向・風速

東・28m/s

南東・1.2m/s

(4)トンネル内の自然風

0~0.2m/s

宮古方から一の渡方へ

0~1.0m/s

一の渡方から宮古方へ

(4) 車上での主な測定結果

項目

第1試験

第2試験

(1)温度

ア 測定・防護車(H1)

25℃

23℃

イ 着火車(F)

1,040℃

780℃

ウ 測定・防護車(H2)

28℃

25℃

エ 測定車(H3)

27℃

26℃

(2)煙濃度

ア 測定・防護車(H1)

検出せず

検出せず

イ 測定・防護車(H2)

100%

47%

ウ 測定車(H3)

85%

27%

(3)ガス濃度

ア 測定・防護車(H1)

検出せず

検出せず

イ 着火車(F)

10%以上

ウ 測定・防護車(H2)

0.48%

0.03%

エ 測定車(H3)

0.059%

0.014%

(4)動物実験

マウス

ア 測定・防護車(H1)

18匹異状なし

18匹異状なし

イ 測定・防護車(H2)

21匹中3匹横転

21匹異状なし

ウ 測定車(H3)

21匹異状なし

21匹異状なし

エ 計測車(A2)

6匹異状なし

十姉妹

ア 測定・防護車(H1)

6羽異状なし

4羽異状なし

イ 測定・防護車(H2)

6羽中6羽死

6羽中1羽死

1羽横転

ウ 測定車(H3)

6羽異状なし

4羽異状なし

エ 計測車(A2)

2羽異状なし

(注) (1)~(3)は、車室内中央部の高さ1.7mでの最大値を示す。

(5) トンネル内での主な測定結果

項目

第1試験

第2試験

(1)架線・ケーブル

架線

漏洩電流

30mA(30KV加圧)

5mA(30KV加圧)

温度

39℃(気温10.5℃)

14.3℃(気温9.4℃)

ケーブル

温度上昇

なし

なし

外観状況

異状なし

異状なし

(2)動物実験

マウス

15匹異状なし

18匹異状なし

十姉妹

6羽異状なし

9羽異状なし

(3)環境

温度

10.5℃→24.5℃

10.5℃→15.6℃

煙濃度

99%約14分後クリア

55%約9分後クリア

ガス濃度

0.1%1分30秒後クリア

0.03%1分後クリア

(注) (3)はトンネル内宮古方760mの地点、高さ2.4mでの最大値を示す。

(6) 車両の燃焼状況

項目

第1試験

第2試験

発車前

着火後、約3分30秒でフラッシュオーバーに達し、黒煙が室内に充満して通風器、窓から激しく噴出した。

約3分45秒で窓ガラス一枚が破損し炎が噴出した。

着火後、約4分でフラッシュオーバーし、約4分30秒で窓ガラス(着火部位付近)3枚にひびが入った。

トンネル

進入前

着火車の窓から噴出する黒煙のため、観察は困難であった。

着火車窓ガラス一枚に約4分50秒でひびが入った。

トンネル内

着火車より出る炎とトンネル壁面に反射する炎の色でトンネル壁面の上半分は明るく照らされていた。(機関車運転室よりの観察)

進行左側では、着火車より出る炎と煙が見られ、進行右側では、トンネル照明により着火車より出る黒煙が見えた。(機関車運転室よりの観察)

トンネル

進出後

着火車の窓ガラス13枚が破損し、炎が噴出した。着火車と後位の測定・防護車の間のホロが全焼し、後位の測定・防護車の客室内は黒煙が充満していた。

着火車の窓ガラス2枚が破損し、炎が噴出した。また、窓ガラス3枚にひびが入った。後位の測定・防護車の客室内の前半分は黒煙が充満していたが、前位の測定・防護車には少量の煙が立込めただけであった。

停車後

着火車の天井が全焼し、座席は前半分が半焼、後半分が全焼していた。前位の測定・防護車は着火車寄の出入台がすすけた程度で延焼しなかった。後位の測定・防護車は、着火車寄の屋根及び出入台の塗料が焼損し、客室仕切引戸の戸当りゴムが一部焼け、網入りガラスにひびが入ったが、客室内には延焼しなかった。

着火車の天井中央付近が約3/5焼失し、6座席が焼失した。着火車の後位仕切引戸を閉じていたが、ガラスは異状なかった。また、前後位の測定・防護車とも延焼しなかった。

そして、右試験結果により、(イ) トンネル内の架線、ケーブル等の諸設備及び環境は、火災発生列車が停止しないで走り抜ける条件では、火災の影響を殆ど受けないこと、(ロ) トンネルの内外を問わず火災車の火勢は走行により進行方向に対して車両の後部へ向かって拡大し、また、車外へ出た炎及び煙は後部へ向かって流れること、(ハ) トンネル内を走行する車両の換気回数は、非トンネル区間の場合より相当に大きいが、火災車の貫通戸、窓、通風器、側扉などを閉じることは、火災の拡大防止上極めて有効であること、(ニ) 火災車より前方の車両は、火災による影響を殆ど受けないこと、(ホ) 走行中の車内環境は、火災車より後方の車両では、遠く離れる程火災による影響は少なく、特に、火災車後部の貫通戸を締切ることにより二両目以後の車両は非常に安全となること、(ヘ) 火災列車が窓から火炎を出しつつトンネル内を走行する場合、それが停止せず、通常の速度で運転継続するかぎり、地上設備に対する影響はなく、トンネル内環境は、少なくとも、マンホール内においては安全で、見通し状態も列車通過前後の短時間を除けば悪くないことなどの事実を解明したうえ、最終的に、右の「委員会報告書」中において、「難燃度分類が中級程度の客室でトンネル内走行中に火災が発生した場合、当該車両の車端が防火構造化され、かつその貫通戸、窓、通風器などが締切られていれば、その火災発見時期、火災発生箇所が通常考えられる範囲内である限り、ほぼ一五分程度はトンネル内を走行継続できること、及び、この場合、火災を発生した車両から離れた客室内に避難している乗客は安全であることが、列車火災試験結果の検討より推定されるに至った。」との見解を表明した。ところで、右見解中で一五分程度という走行可能時分が算出された根拠は、限られた試験条件のもとで定量的な解を得ることは困難としつつも、着火車の換気など火災の拡大し易い条件下で実施された第一試験における着火からフラッシュオーバーに至るまでの時間三分三〇秒に、トンネル内を走行した時間三分を加え、換気条件を緩和(より燃焼しにくい条件にすることをいう)した第二試験では、トンネルを出た時点での燃焼状態が第一試験におけるトンネル進入直後の燃焼状態とほぼ等しかったことから、換気条件を緩和した火災列車のトンネル内走行を想定して右合計時間六分三〇秒にさらに三分のトンネル内走行時間を加え、また、通常起る小火源の列車火災と火災列車走行試験において設定された諸条件から考えられる走行可能時間の増加要因(例えば、小火源火災の場合の着火からフラッシュオーバーに達するまでの増時分)を少なくとも五分とし、これらを総計して一五分程度との数字を算出したものである。

(二) 委員会報告結果と本件事故態様との比較対照

(1) トンネル脱出所要時間

第二五回公判調書中の証人福田敬八郎の供述部分、岸本達郎作成の捜査関係事項照会回答書によれば、「きたぐに」をけん引していたEF七〇六二機関車が、「きたぐに」に連結されていた一三号車から食堂車までの車両一一両(一〇〇パーセント乗車)を連結し、火災列車走行試験時と同様の時速六〇キロメートルの速度で北陸トンネル内の停止地点から走行を再開したとすると、トンネル外に脱出するまでには加速に要する時間を含めて九分二一秒を要し、加速時間はけん引車両数の多寡により長短を生ずることから、定員より約五〇名少ない乗客数で全一五両を連結していた「きたぐに」が、時速六〇キロメートルでトンネル外に脱出するには右九分二一秒以上の時間を要するものと認められる。

(2) 食堂車の難燃度

前掲証人田中の当公判廷における供述及び前記「委員会報告書」によれば、「委員会」においては、列車火災の防止に直接的なかかわりをもつ車両の難燃性を向上させるため、各旅客車の難燃度を明らかにし、その基準として、車両の投影面積(床面積)一平方メートルあたりの可燃物量が三〇キログラム未満のものを難燃度上級(A)、三〇キログラム以上七〇キログラム未満のものを難燃度中級(B)、七〇キログラム以上のものを難燃度下級(C)とし、これに、車両自体の構造、使用材料の難燃度及び車端防護の各要素を加味したうえ、左表のとおりに車両の難燃度を明らかにしたことが認められる。同表に従って食堂車(オシ一七二〇一八)の難燃度を検討すると、同車の可燃物総量より計算される投影面積一平方メートルあたりの可燃物量は約四七キログラムで、使用材料のうち、屋根は金属、天井はポリエステル樹脂化粧硬質繊維板、車端引き戸は金属製と難燃度中級(B)の条件を満たすものもある一方、床は調理室を除いて木板に塩化ビニールの床仕上材を敷いたのみで、腰掛も可燃性のものであり、車端引き戸のガラスは網入りガラスでなく、ガラス押えもゴム製というように難燃度下級(C)の部分も相当程度残しており、これらを総合すると、食堂車は、中級の下(B2)の難燃度に相当するものと認められる。

(3) 車端部の防火構造

前記のとおり、食堂車の車端部は、引き戸が金属製であった以外は防火構造化されていなかった。

(4) 食堂車の換気条件

食堂車の換気条件は、前記第二の五の1に認定したとおりであるが、「きたぐに」がトンネル内に停止した時点において、開閉操作可能な窓のうち、喫煙室の窓が閉じられていたことは前記認定のとおりで、調理室や通路などの各窓の開閉状況は必ずしも明確でないが、いずれにしても、被告人両名及び乗務員らによって右各窓を閉め切ることは容易であったものである。ただ、喫煙室天井部の送風口の開閉状況は不明で、「開」の状態にあった疑いも残るところ、火災発見後は喫煙室内に充満する煙のためその操作は困難であり、喫煙室及び乗務員室と食堂車間の空気を貫流させる二個の通風口並びに食堂天井部の五個の整風盤はその構造上操作不能なものであったから、これらの部分での空気の貫流は回避できなかったものである。

旅客車難燃度の分類表

ランク

項目

A1

A2

A3

B1

B2

屋根

金属に塗装又は屋根布

同左

同左

同左

同左

木板に屋根布

天井、内張

金属基板のメラミン樹脂化粧板、又は金属板に塗装

同左

同左

硬質せんい板にポリエステル樹脂化粧、又は硬質せんい板、合板に塗装

同左

同左

金属板に塩化ビニール樹脂床仕上材、又は塗り床材

合板に塩化ビニール樹脂床仕上材(床下面は金属板)

同左

同左

同左

合板、木板に塩化ビニール合脂床仕上材又は木板(床下面に金属板なし)

腰掛、寝台の表キレ地

難燃性のもの

同左

難燃性でないもの

難燃性のもの

難燃性でないもの

同左

窓カーテン、及び寝台カーテン

難燃性のもの

同左

同左

同左

同左

難燃性でないもの(窓カーテンのみ)

車端防護

車端引戸、開戸が金属性のもの、同ガラスは網入ガラス。ガラス押えは金属

同左

同左

同左

同左

車端引戸、開戸が金属製のもの、又は金属化されているもの。同ガラスは網入ガラス。

(5) 火災発見時期、発生箇所及びその他の状況

この点については、前記第二の九の1で述べたとおりである。

以上のように検討してくると、本件火災車両及び事故の態様は、「委員会報告書」が火災列車のトンネル内走行の前提として掲げる諸条件を充足していない部分も相当あり、しかも、右条件外での火災列車のトンネル内走行の可能性については、「委員会報告書」をもってしてもなお未解明と言わざるを得ない要素を多く残していることから、「きたぐに」が食堂車を連結したまま無事トンネル外に脱出できたか否か、また、脱出できたとして、その時間的限界を厳密に算出することは極めて困難というべきであるが、以下の諸点、即ち、(イ) 食堂車は一応中級の下(B2)の難燃度を保持していたこと、(ロ) 列車の緊急停止後、午前一時二〇分すぎころに被告人両名が喫煙室横付近で事後の処置について協議を開始してから、前部列車が走行を開始する午前一時三九分ころまでは、喫煙室内のコの字型長椅子下床面から出火した火災はフラッシュオーバーの段階に達せず、出火場所である床面の燃焼も台車下に炎を吹き出す程の発炎燃焼には至らなかったこと、(ハ) 火災列車走行試験の結果から、火災列車がトンネル内を走行する場合でも、火災車の貫通戸、窓、通風器、側扉が閉じられていれば、火災の拡大防止には極めて有効と認められるところ、「きたぐに」が走行するにあたっては、食堂車天井部の整風盤及び通風口並びに開閉不明の喫煙室天井部の送風口を除いては、右条件が満たされ、あるいは容易に満たすことができたこと、(ニ) 火災列車走行試験においては、着火車がフラッシュオーバーの状態下でトンネル内を三分間走行しても走行に異常を生じなかったことから、火災規模がフラッシュオーバー以前の状態にある列車はトンネル内でもほぼ問題なく走行できると考えられること等の事実に照らすと、鎮火困難な状態になったと認められる午前一時二五分前後ころよりさらに数分の間に、食堂車を連結したまま列車の走行を再開すれば、時速六〇キロメートルで九分余り走行することにより(この走行によって、フラッシュオーバーに達する時間が、七〇数メートル走行しただけの本件に比べて多少早くなると認められるが)、無事トンネル外へ脱出できたものと認めることができる。

これに対し、第一次切離が完了し、前部列車が走行を開始した午前一時三九分ころにおいては、(イ) 火災の発見から既に三〇分ばかりを経過し、火災はフラッシュオーバー直前の段階にまで進んでいたため、この時点からの走行再開では、トンネル外への脱出までに、火災列車走行試験で試みられたフラッシュオーバー状態でのトンネル内走行時間三分間を大きく上回る約九分余り(第一次切離の結果連結車両が全一一両になったため加速に要する時間は若干減少すると認められる)の時間のほぼ全部を、フラッシュオーバーの状態で走行しなければならなかったこと、(ロ) 火災列車走行試験においては、着火車の着火場所が室内中央部座席上であったことや、燃焼時間等の関係から、試験列車の走行、停止後においても、いまだ、燃焼は着火車の床面までには進行していなかったところ、本件事故においては、出火場所が床面であったことから、被告人石川らの消火作業によっても消失しなかった発炎燃焼は、時間の経過につれて床面を広範囲に燃焼していったものと推認され、しかも喫煙室、食堂の床面は、木板に塩化ビニール床仕上材が張られているのみで金属板ではなかったため、燃焼の進行により床面が焼失、落下し(《証拠省略》によれば、炎上した食堂車喫煙室及び食堂の床面は焼失、落下し、車内から床下の配管、配線及び車輪等が見える状況となっている。)、その結果、軌道上への床下機器の脱落、さらには室内の燃焼物の落下により列車の走行を不能にする可能性が多分に存するものであったこと(「委員会報告書」においても、火災車の走行可能時分を考察するにあたって、火災の床下部分への影響を少なくするためには、屋根及び床板を鋼板にする必要のあることを特記している。)等に鑑みるとき、この時点で走行を再開したのでは、列車の安全走行に影響をきたす虞れを否定できない状態にあったというべく、この時点でトンネル外へ無事脱出することが可能であったとは証拠上到底認定できない。まして、前部列車が七〇数メートル走行して、被告人辻が第三次切離にかかった時点には、火災はほぼフラッシュオーバーの段階に達し、間もなく食堂車の窓も高熱のために破壊され、炎が車外に吹き出す状態になったもので、このような状況下で、同被告人が機関車まで戻ったうえ、それから時速六〇キロメートルで九分余り列車を走行させてトンネル外に脱出することは、も早、火災列車走行試験の結果の射程距離外のものであり、ほかに、この時点においても、なお安全走行が可能であるとする証拠は存しないところである。

3  前記両可能性についての結論

右のとおり、検察官の要求する結果回避措置をとることが客観的に可能であったといえる最終時点は、火災の鎮火にあっては第一次切離を開始して暫くのちの午前一時二五分前後ころであり、また、列車のトンネル外への走行脱出については、右午前一時二五分前後ころよりさらに数分の間であったが、前部列車が走行を開始した午前一時三九分ころの時点には、列車の安全走行はも早不可能となったもので、ただ、列車の走行に関しては、関係証拠を総合して検討しても、証拠上認められる右の走行可能時点から午前一時三九分ころまでの間のいずれの時点までが走行可能で、どの時点以降それが不可能な事態となったかを特定することはできないところである。

三  火災列車を走行させトンネル外への脱出を図りながら火災の鎮火に向けて消火作業を継続すべき注意義務

1  異常時における列車停止の原則

公共輸送の根幹的な役割を担い、日夜公衆の生命及びその財産を安全、確実に輸送することを任務とする国鉄は、今日における輸送の大量化、高速化が、一方においては輸送業務の危険性を飛躍的に増大させていることに対応し、安全保持の確立を目指して、運転の安全に関する各種の保安規定を設け(「安全の確保に関する省令」((運輸省令五五))第三条)、さらに地方の鉄道管理局等においては、これに基づき、地域の特殊性を考慮し、それに相応したより個別的、具体的な作業準則をいくつか定めている。しかも、国鉄は、巨大な組織体であることから、その職務も分業化、専門化し、列車の運行を例にとってみても、そこでは、機関士、車掌、公安職員など異職種の従事員による分業化された協同作業となっており、加えて、職務内容の専門化により、各職域担当者間の人的交流は殆どないことから、協同作業の安全と円滑の確保は、各職域担当者が法規等に定められた各責任を忠実に遂行することによりはじめて実現されるもので、そのためには、できる限り、個個の従事員による裁量的な判断の余地を残さない細密な規定を策定するとともに、各従事員においてはこれらの諸規定を遵守することが要求され、右省令第二条綱領においても、安全の確保は関係従事員における規程の遵守を基礎とするものであることを明らかにし、各従事員に対し、運転の取扱いに関する規程(定)の携帯、理解・遵守を求めていた(右省令を受けて制定された前記「安全の確保に関する規程」の綱領中においても、同様に規定の遵守がうたわれていた。)。

ところで、《証拠省略》によると、国鉄の保安理念の根幹をなすものとして、異常時においては列車を停止させるという基本原則の存在を認めることができる。この原則は、国鉄開業以来の保安理念であって、列車火災に限らず、走行列車に異常事態が発生した場合には直ちに列車を停止させ、その異常事態を除去したうえではじめて列車の運転を再開するというもので、このことは、動体である走行列車の安全にとってみれば至極当然のことであったが、実際には、営業利益の重視からくる定時輸送確保の要請、あるいは、個個の機関士の職業意識から醸成されてきた運転継続への使命感などからとかく等閑視されがちであった。ところが、昭和三七年五月に発生した三河島二重衝突事故において、列車の停止手配の遅延が大惨事を招く一因となったことを契機に、異常事態に遭遇した際の列車停止を保安の原理として再確認するとともに、直ちに規程の改定に着手して、同年六月には、運転取扱心得(昭和二三年制定達四一四((以下「運心」という)))第五編「事故の措置」第一章「総則」冒頭五一五条に、従来の極めて訓示的な、

「この心得に定めていない異例の事態が発生したときは、その状況を判断した上、列車の運転に対して最も安全と認める手段により、機宜の措置をとらなければならない。」

との規定に、同条第二項として、

「運転事故の発生のおそれのあるとき、又は運転事故が発生して併発事故を発生するおそれのあるときは、ちゅうちょすることなく、関係列車又は車両を停止させる手配をとらなければならない。」

との規定を加え、列車の走行に危険を与える異常事態が発生した場合、列車の停止措置こそが事故回避のための最も安全な機宜の措置であることを規程上も明示するところとなった。そして、昭和三九年、右「運心」が廃止され、これに代って同年制定された「運転取扱基準規程」(運達三三)においても、第一章「総則」中に、

第四条 「異例の事態が発生したときは、その状況を判断したうえ、列車の運行に対して、最も安全と認める手段により機宜の措置をとらなければならない。」

第六条一項 「運転事故が発生するおそれのあるとき又は運転事故が発生して併発事故を発生するおそれのあるときは、ちゅうちょすることなく関係列車又は車両を停止させる手配をとらなければならない。」

として、右「運心」五一五条の規定がそのまま引き継がれ、さらに、同年に制定された前記「安全の確保に関する規程」においても、第一七条「事故発生のおそれのあるときの処置」として、

一項 「列車及び自動車の運転又は船舶の運航に危険のおそれがあるときは、従事員は、一致協力して危険を避ける手段をとらなければならない。万一正規の手配によって危険を避ける暇のないときは、最も安全と認められる処置をとらなければならない。」

二項「直ちに列車又は自動車を止めるか又は、止めさせる手配をとることが、多くの場合、危険を避けるのに最も良い方法である。」

と規定され、列車の停止措置が安全のためには最も良い方法であることを明示するに至った。このようにして、三河島二重衝突事故以後においては、列車停止の原則が理念と経験に裏打ちされた事故回避のための最も安全な機宜の措置として規程上明文化され、他方、関係従事員に対する日常の指導、訓練などにおいても、この点が特に強調されてきたものであって、異常事態を抱えた列車を走行させながら、その原因の除去作業を行うということは、厳に禁止されているところであった。

2  列車火災における処置手順

右のような列車停止の原則は、国鉄が定めていた列車火災における処置手順においても原則的に貫かれていたもので、《証拠省略》によれば、以下のような事実を認めることができる。即ち、前記「運心」五三九条には、列車火災における処置手順について、

「列車に火災の発生したときは、直ちに消防の手段をつくさなければならない。この場合、容易に消化することができないと認めたときは、その車両を列車から解放して他の車両と隔離した後、その消火に努める等臨機の処置をとらなければならない。」

と定められていたが、前記「運転取扱基準規程」が制定される際、右「運心」五三九条の列車火災における処置手順は、個個の従事員が列車火災において当然取るべき機宜の処置で、同規程の総則中に、異例事態において機宜の措置を取るよう定めておけば(前示の同規程四条)、あらためてこれを明文化する必要はなく、具体的手順の励行は各現場の個別的指導にゆだねれば足りるとして削除されるに至った。従って、右「運転取扱基準規程」の制定時においては、右「運心」五三九条が定めていた列車火災における処置手順は、列車の運転関係に従事する者にとって、ある意味では常識的な処置となっていたもので、前記「両局処置手順」が各定めていた列車火災における処置手順も右「運心」五三九条を基礎としていたことはその内容からしても明らかで、右「両局処置手順」では、右「運心」五三九条が消火と火災車両の隔離のみを挙げていたのに対し、項目別に、より詳細に規定し、基本手順として、列車の停止―列車防護―旅客誘導―消火―消火困難な場合は火災車両の切離(この切離が火災車両の孤立を意味していたことは前記のとおり)―連絡と定め、あくまでも列車の停止が基本となることを明らかにしていた。

ところが、「両局処置手順」においては、前記認定のように、右の基本手順に加えて、トンネル内、橋りょう上などでの火災では直ちに停止することなく、これらを避けて(金鉄局の処置手順では「なるべく」避ける)停止することを定め(以下この定めを「トンネル内停止回避規定」という)、その文言上だけからすると、トンネル内は列車停止の原則の適用されない例外的な場合とされ、人員の許す範囲内で、列車のトンネル外までの走行と消火という併行作業を要求していると解されるものであった。しかし、《証拠省略》によれば、右の「トンネル内停止回避規定」は、トンネル内に火災列車が停止することにより、ごく常識的に予想される消火作業、切離作業、乗客の避難誘導などへの支障を考慮して設けられたにすぎず、その前提となる異常事態を抱えた列車がトンネル内を走行することの危険性については、何ら実質的、科学的な検討を加えていなかったものであることが認められる。それだけに、同規定は、火災列車がトンネル内に停止した場合とトンネル内を走行した場合とを比較考量した結果、前者により多くの危険を認め、走行にある程度の危険が伴なってもトンネル内に停止することを回避するよう求めていたものではなく、あえて列車を停止させるまでもなく容易に危険を回避できる場合、即ち、あくまでも火災列車がトンネル外まで無事走行できると判断できる場合に限ってトンネル内での停止の回避を求めていたと解すべき性質のものである。従って、右「トンネル内停止回避規定」の運用にあたっては、火災に遭遇した個個の従事員において、トンネル外まで無事走行できるか否かの判断を必要としていたわけであるが、《証拠省略》によれば、国鉄の列車火災に対する従来の研究は、昭和二六年四月に発生した桜木町列車火災事故を契機に、同年一〇月、静岡鉄道管理局浜松工場豊川分工場で、当時の木製車両を用いて行われた定置燃焼試験が、大規模な列車火災試験としては唯一のものであり、この試験により、木製車両火災の燃焼速度の急速性、車両の密閉構造による車両内の酸素の急速な減少、ふく射熱の発生による隣接車両への影響などに関する資料を得たものの、その後は、車両の難燃化改造に伴う車両構成材料の小規模な燃焼実験をした程度で、本件事故当時までにおいては、トンネルの内外を問わず、火災列車走行の安全性が科学的な検討の爼上にのせられたことは全くなく、保安関係を担当する技術陣においても、火災列車が走行すれば、燃焼箇所への酸素の流入などが原因となって火災を一層拡大させ、しかも、それがトンネル内であれば、車両の換気回数の増大によりさらに一層火災は拡大するのではないかとの常識的な危惧感しか持ち合わせておらず、当時の火災学、燃焼学等の専門家の間においても、列車のような動体に発生した火災に関する研究はこれと大同小異のもので、殆ど未開拓とも言える状況にあったことが認められる。この点、例えば、本件事故当時国鉄技術開発室の副技師長の地位にあり、前記「委員会」においても国鉄側委員として中心的な役割を果した証人田中利男は、被告人辻の弁護人からの本件事故当時における火災列車の走行一般に関する科学的な知見についての尋問に対し、

「副技師長であった私は、すべてのトンネルを、この試験やる前でございますよ、北陸トンネル事故の前でございますよ、走るなんていうことは全然考えておりませんでした。スタティックな試験だけをやった国鉄が、全部トンネル内まで走らせる、それどころか、トンネルでなくても走れるかどうかということは、副技師長と致しまして全然考えたことありません。(建築火災やトンネルの専門の先生方においても、火災列車が走れるか否かについては)走れるなんていうよりもですね、動くものの火災、それ自身が分かりませんでした。これは国鉄だけじゃなくて全世界に私はなかったと思っております。もっと言わして頂ければ、部外の先生方もまるで分からなかったわけであります。」

(前掲当公判廷における供述)

と供述し、また、東京大学工学部教授として燃焼学及び安全工学を担当し、前記「委員会」の部外委員でもあった証人秋田一雄も、被告人石川の弁護人の尋問に対して、

「ところで、委員会が、発足された当時ですが、列車火災に対する文献であるとか我国のことですが、研究というようなものは殆ど進んでいなかったというふうにお聞きしていいんですか。」

「そう見てよろしいと思います。」

「外国等ではどうであったんでしょうか。」

「私の知っている範囲では、外国も非常に少なかったと思います。」

「狩勝実験をやるときに、いきなりトンネル内に列車を突っこましたらどうかというような意見はなかったんでしょうか。」

「ございました。」

「それに対しては、どういうふうなことで、狩勝をやるということになったんでしょうか。」

「一つには、私の聞いたところでは適当な実験をする場所がなかったということが一つ。それからもう一つには、いきなりトンネル内でやるには、あまりによく分かっていないと、従って、トンネル外でまずやってみるのも価値があると、こういうところだと思います。」(同人の前掲供述部分)

と供述し、いずれも、トンネル内列車火災に対する研究の立ち遅れた状況を端的に証言しているところである。また、このように、国鉄において火災列車のトンネル内走行に関する研究の欠落していた事実(それは、取りも直さず、トンネル内列車火災対策の不備を意味するものでもあるが)は、本件事故後の国鉄における列車火災対策、とりわけ、北陸トンネルのような長大トンネル内における列車火災に対する新たな処置手順を定立するまでの経緯を瞥見することによっても明らかなところで、《証拠省略》によれば、

(昭和・年・月・日)

47・11・25 国鉄本社旅客局長、運転局長は、「列車火災事故防止について」と題する通達文書(旅総第六三四号)を発信したが、同文書中には、火災事故発生時の対策として、「動力車乗務員及び列車乗務員は、列車火災等不測の事態が発生した場合は、旅客の安全を第一に考え、直ちに列車の停止手配を講じること。この場合、橋りょう、トンネル等は、なるべく避けることとする。なお、この場合の長大トンネル等における判断標準については、別途指示する。」旨記載され、本件事故直後においては、国鉄本社運転局、旅客局においても、長大トンネルなどのようにその脱出までに長時間の走行を必要とする場合の処置方については、明確な指示を留保した。

47・12・1 国鉄に前記「委員会」の設置。

48・8   国鉄本社運転局、旅客局名で「長大トンネルにおける列車火災時のマニアル作成要領」を策定して各鉄道管理局等に配付したが、その「はしがき」には、「……北陸トンネルの事故にかんがみ、特に延長が五キロメートルをこえるような長大トンネル(準長大トンネルを含む。)については、新しい観点に立ってこれを見直し、適切なマニアルを定めて万全を期すること。マニアルの作成にあたっては、火災の拡大する状況等、現時点では物理的に把握されていないものもあるが、これらについては今後の解明をまってそのつどマニアルを見直すこととし……。」と記載され、その本文において、延長五キロメートルを超える長大トンネルについては、新たな観点に立ったマニアル作成の必要性とそのための科学的資料が不足している現状を明らかにしたうえ、各鉄道管理局等において列車火災に対する処置方を作成する場合の基準として、(ア) トンネル、橋りょう上でないときは、直ちに停止、(イ) トンネル、橋りょう上のときは通過してから停止、(ウ) 長大トンネル内で火勢大のときは直ちに停止と定め、また、トンネル内に一旦停止した場合の運転開始の可否の判断基準として、トンネル入口付近の場合は火災の発生部位、火勢の大小にかかわらず、トンネル内中間部の場合で火勢大のときは火災発生部位にかかわらず停止のままで次の処置に移るとした。

50・4   右「委員会」により、火災列車のトンネル内走行に関する前記内容の「委員会報告書」の提出。

50・8   国鉄本社運転局、旅客局名で「長大トンネルにおける列車火災時のマニアル作成要領」を策定し、各鉄道管理局等へ配布したが、その「はしがき」によると、このマニアル作成要領は、右「委員会報告書」に基づいて現行の列車火災の処置方を見直し、各鉄道管理局等において適切なマニアルを作成することを目的としていたもので、そこでは、トンネル内での列車火災の処置方として、48・8に策定されたマニアル作成要領とは異なり、「運転地点、火災の発生部位、火勢等にかかわらず、そのまま運転を継続して極力トンネル外に脱出して停止する。」と指示していた。

50・10   前記「運転取扱基準規程」を改正し、同規程第五章「事故の処置」第二節「列車の事故」に次のような追加条項(四八一条の二、一項、二項)を設けた。

(一項)

「列車に火災が発生したことを認めたときは、直ちに関係列車を停止させる手配をとるものとする。」

(二項)

「前項の場合、火災が発生した列車を停止させる箇所がトンネル内又は橋りょう上等となるときは、これ等の箇所を避けて停止させる手配をとるものとする。ただし、鉄道管理局長等が、火災が発生した列車を停止させる箇所を別に指定したときは、その箇所に停止させる手配をとるものとする。」

というように、国鉄本社では、本件事故後においてさえも、右の「委員会報告書」が提出されるまでは、火災列車がトンネル内を走行することの安全性について科学的に解明されていなかったことから、特に、長大トンネル内での列車火災対策については、全く暗中模索とも言える状況にあったことが認められる。

そして、このような状況は、各現場の従事員に対する指導、訓練にもそのまま反映されており、前掲証人金内の供述部分によれば、同人は、本件事故当時、新鉄局新潟車掌区の指導助役として被告人石川の指導、訓練にもあたっていたところ、同車掌区では、列車火災に対する指導の一環として、北陸本線の倶利加羅トンネル内で列車火災が発生した場合を想定し、その処置手順について討議、説明をしたことはあるが、これも、トンネル脱出までに多時分を要するような場合については、指導者側にも明確な指導のできない点が多多あったことから、二分程度の走行で列車がトンネルを脱出できるという条件を設定したうえでのものであったことが認められ、また、前掲証人石須の供述部分によれば、同人は、本件事故当時、金鉄局金沢運転所運転指導課長として被告人辻の指導訓練にもあたっていたところ、同運転所では、前記金鉄局作成の「列車火災処置手順」を管内の関係従事員に配付した折にその内容を一通り説明したほか、別途列車火災事故に対する全般的な訓練も行ったが、右の「トンネル内停止回避規定」については、火災列車がトンネル内を走行すれば、脱線や隣接列車への飛び火等二次災害を招来させるという危険を漠然と意識しながらも、トンネル内での列車火災などという事態は滅多に発生するものではないとの安易な考えから、その運用基準の検討をおろそかにし、管内の関係従事員に対する指導、訓練においても具体的に触れることはなかったことが認められる。もっとも、《証拠省略》によれば、金鉄局においては、昭和四五年八月、当時旅客車のホロ燃焼事故が散見されたことから、国鉄松任工場で、旅客車のホロ燃焼試験を行い、同年一〇月一日付の金鉄局運転時報第一〇号に「トンネル内で旅客車ホロが燃えたときの処置手順について」と題する指示事項を掲載し、これを管内各駅、車掌区、機関区などに配付し、関係従事員への徹底を図ったが、そこには、「運転中の列車に火災が発生したときの処置方は、『列車火災時における処置手順について』(44・6・5、金転保第二九号)のとおり、基本的には直ちに列車を停止させることであるが、トンネル内でタバコの吸いがら等が旅客車ホロに付着し発火した場合は、直ちに停止させない方法が得策であることの試験結果が出た。とくに北陸トンネル等長大トンネルにおいては、列車を停止させると的確な旅客誘導が困難となるほか、混乱して、多数の死傷者を生ずるおそれもある。よって、旅客列車の『ホロが燃えている程度の場合』は、『トンネル内で列車を止めない。』で次の処置手順により旅客の安全を確保するように配慮されたい。」として、ホロの底部、側面、全体のいずれが燃えているときも、トンネル内では列車を止めずに車載消火器で消火に努めるよう具体的な処置手順を示していたことが認められるが、右桑山の供述部分によれば、右指示事項は、工場内でホロを燃焼させた結果、ホロは意外に燃えにくいことが判明したことから、ホロ火災に限定してトンネル内の走行が可能であることを示したにすぎず、もとより、ホロ以外の可燃物が燃焼しているすべての場合を対象としたものではないことが認められ、その適用範囲は、おのずから限界のあるものであったし、また、この点については、金鉄局以外に所属する従事員には全く知らされていなかったことが認められる。従って、本件事故当時においては、国鉄の保安関係担当者が火災列車のトンネル内走行に対して常識的に抱いていた危惧感は、そのまま、列車の運転に関係する従事員の意識としても定着し、国鉄全体として、火災列車がトンネル内を走行することは危険であるとの共通認識を有していたものと認められ、現に、本件事故後に作成された前記昭和四八年八月国鉄本社運転局、旅客局名義の「長大トンネルにおける列車火災時のマニアル作成要領」においてさえも、延長が五キロメートルを超える長大トンネルの入口付近で火災列車が停止した場合、火災発生部位、火勢の大小にかかわらず、停止のままで次の処置に移るとしていることがこの状況を端的に物語っているところである。

以上のことからすると、現場従事員が、「トンネル内停止回避規定」の実質的な運用規準となる火災列車のトンネル内走行の安全性を判断するにあたっては、自己の列車乗務等から得た経験的知識に頼るよりほかないところ、一方においては、前記のような列車停止の原則が厳然と存在していたことから、同規定がそのまま適用されるのは、金鉄局が示していた前記ホロ燃焼の程度の場合を除いて、火災列車がトンネル内を走行しても安全であることが容易に判断できる場合、例えば、トンネル出口付近で火災を発見したときなどに限定され、右安全性を確信できないような場合は、前記列車停止の原則に従い、トンネル内に停止したうえで次の処置に移るべきもので、それが、当時の指導及び処置手順に則った安全な事故回避措置として、各従事員に要求されていたものである。

勿論、「両局処置手順」も絶対的なものではなく、時として、火災に遭遇した従事員に対し、これと異なる臨機の措置を取ることが要求される場合のあることも否定できないが、前記のように、高度に組織化、分業化した列車の運転業務にあっては、原則的な保安理念及び国鉄各部局によって策定された処置手順そのものが、これに携わる末端従事員の作業を統率するものとして本来強い拘束性を有していたものであり、各従事員においてはその遵守に努めるべきことが要求される反面、これと異なる臨機の措置が要求されるのは、正規の処置手順によっては異常事態を回避できず、かつこれと異なる処置に出ることによってのみこれを回避できることが極めて明らかな場合に限定されると解するのが相当である。

3  まとめ

そこで、被告人両名に対し、右の「トンネル内停止回避規定」、あるいは、これとは異なる臨機の措置として、火災列車の走行再開を要求し、併わせて鎮火作業の継続を義務付けることができたか否かを検討する。

前記認定のとおり、「きたぐに」の北陸トンネル内での停止位置は、列車先頭部が敦賀口より約五・三キロメートルの地点で、今庄口までは、なお八・五七キロメートルの距離を残しており、そのうえ、被告人両名が事後の措置に関する協議を開始したころの喫煙室内の火災は、台車下にまでは達していなかったものの、同室内には、刺激臭を伴った多量の煙が充満していたため、そこに踏み込んで火災状況を確認することは困難で、ましてや、出火原因を確知することなどは到底できない状況にあったことからすれば、被告人両名ら列車の運転に関係する従事員の有する経験的知識、能力によっては、「きたぐに」がトンネル外まで無事走行できるか否かについて判断できる限界をはるかに超え、その安全性に確信が持てた場合とは到底考えられず(本件においてトンネル脱出までに必要とした距離だけを前掲昭和四八年八月に国鉄本社運転局、旅客局で作成された「長大トンネルにおける列車火災時のマニアル作成要領」に対照しても、火勢の大小にかかわらず停止したまま次の処置に移行することが義務付けられる場合に該当する。)、結局、本件では、右の「トンネル内停止回避規定」が適用される前提を欠き、被告人両名としてみれば、列車を停止したまま次の措置、即ち、鎮火、あるいは食堂車の切離作業に移行することが、当時の保安理念及び処置手順に従った措置であったと認められる。

そして、当時の保安理念及び処置手順とは異なる臨機の措置として被告人両名に、火災列車の走行を要求することも、本件結果発生の決定的な要因が、食堂車を切離、隔離して前部列車をトンネル外に走行させるという作業の完了前にき電停止の事態が発生したことにあり、かようなき電停止事態の発生を明らかに予見できる状況にはなかった本件においては相当でないと考えられる。即ち、本件において、被告人両名が、火災の進行によるき電停止事態の発生を危惧しながら切離作業等に奔走していたことは明らかであるが、被告人両名の当公判廷における供述、前掲証人細江及び同八木(但し、被告人辻の関係においてのみ)の当公判廷における各供述、証人高木喜三の当公判廷における供述(但し、被告人石川の関係においてのみ)によれば、本件事故当時における機関士及び専務車掌ら現場従事員一般のき電停止に対する認識は、せいぜい火炎による架線の溶断程度の知識にとどまり、本件のような火炎又は火煙を通じてトンネル壁面又は漏水防止樋との間に放電短絡現象を起こし、それを原因としてき電停止が発生するなどという事態はおよそ認識のらち外にあったと認められるところ、前記認定のように、火災の進行により、火炎が食堂車から吹き出すようになったのは、第三次切離開始後のことであったから、証拠上、トンネル外への安全脱出が可能と認定できる午前一時二五分前後よりさらに数分間を経るまでの間に、き電停止の発生を現実的な危険として認識し、切離作業を回避することを要求できる状況ではなかったと認められ、しかも、前記認定のとおり、火災列車がトンネル内を安全に走行できると確信を持てる場合でもなかったのであるから、保安理念及び処置手順とは異なる臨機の措置として、火災列車の走行再開の措置に出ることを要求できたとは到底認められないものである。被告人石川は、火災の鎮火は困難との判断のもとに、喫煙室の台車下に異常のなかったことから、止むなく食堂車を連結したまま列車をトンネル外に走行させようと考えたものであるが、出火原因及び喫煙室内の燃焼状況も確認できないまま火災列車の走行の安全性を軽信し、右措置を選択したことは、当時の処置手順等に照らすと、早計な判断であったと言わざるをえないものである。

このようにみてくると、本件事故状況のもとにおいては、被告人両名に対し、「両局処置手順」中の「トンネル内停止回避規定」、あるいは保安理念や処置手順にない臨機の措置としても、火災車両である食堂車を連結したまま列車を走行させることを注意義務として要求することはできず、列車を走行させながら消火作業をしなかったこと、また、列車の走行を再開させなかったことをもって被告人両名の過失と認めることはできないところである。

四  トンネル内に停止した状態での火災鎮火の義務

検察官の主張する火災列車を走行させながらの消火作業が被告人両名に対する注意義務としては要求できないとしても、本件は、列車をトンネル内にとどめたままでも、早期に火災を鎮火すれば結果の発生を回避できたものであることは前記認定のとおりであるから、右主張の縮小されたものとして、被告人両名に対し、トンネル内に停止した状態で火災を鎮火すべき注意義務が存在するか否かを検討しなければならない。

ところで、「両局処置手順」においては、前記認定のように、列車の緊急停止後はまず火災の鎮火に努め、これが困難と判断したときに火災車両の切離に移行することを求めていたものであるが、非トンネル区間での列車火災における火災車両の切離が隣接車両への延焼防止を目的としていたものであるのに対し、長大トンネル内でのそれは、延焼防止の目的のほか、火災を鎮火できない場合の残された事故回避措置である列車のトンネル外脱出、即ち、乗客のトンネル外への避難活動の手段として行われるものであることから、消火作業に相当時間を費やし、鎮火できない蓋然性が極めて高くなってから切離作業に移行していたのでは、火災の進行の影響によりその作業自体が困難となるうえに、たとえ切離に成功したとしても、長大トンネルでは走行脱出までに相当の時間を要するものである以上、トンネル内に残留する火災車両の燃焼の進行がこれを不能にさせる危険も極めて大きく、そのため、長大トンネル内での鎮火、あるいは、火災車両の切離による走行脱出という事故回避措置のいずれを選択するかにあたっては、努めて敏速な判断が要求されるとともに、一方、もし、火災を鎮火できる確実な見通しを持てない場合には、火災車両の切離によるトンネル外への走行脱出の措置を選択すべきものであり、従って、本件において、被告人両名に対し、消火作業の継続による火災の鎮火という事故回避措置のみを選択し、これを遂行することを注意義務として要求するには、前記鎮火可能時間(午前一時二五分前後ころ)までに、火災鎮火への確実な見通しを持ち、消火作業に着手できたことが条件となってくるものである。ただ、検察官は、被告人辻に関しては、その主張自体に一貫性を欠くが、結局、同被告人は火災状況の確認不充分から鎮火の能否の判断を誤った旨主張していると解されるものの、被告人石川については、同被告人が自ら台車下を点検した時点で鎮火は可能と判断しながら、その後切離作業に気を奪われたため消火作業を失念したものである旨主張しているところ、同被告人が、右時点において、火災の鎮火は困難でないかと考えていたと認められることは前記認定のとおりである。そこで、以下、被告人両名の右判断の当否を検討することとする。

1  当時の国鉄における初期消火の限界に関する認識及び被告人両名が受けてきた列車火災に対する指導、訓練の内容

(一) 国鉄における初期消火の限界に関する当時の認識

《証拠省略》によれば、本件事故前における国鉄では、火災の性状に対する研究も充分でなく、その知識も不足していたことから、旅客車両に火災が発生した場合に、車載消火器による消火が可能な初期消火の限界について明確な判断基準を持っておらず、本件事故を契機に漸くその検討を始めるに至ったが、前記「委員会」においてもこれが協議され、その際、国鉄側からは、「消火器四、五本、消火時間にして一〇分程度」との限界基準を提示したところ(なお、国鉄本社運転局、旅客局名義の昭和四八年八月付「長大トンネルにおける列車火災時のマニアル作成要領」中には、初期消火の限界として、消火器四、五本程度を目処として行う旨記載されていた。)、火災関係を専門とする部外委員から、火災の性状に即した基準を設ける必要があるとの意見が出され、最終的に、燃焼部位、発炎及び発煙状況等を基準とした左表のような初期消火の限界基準が前掲「委員会報告書」中にもり込まれるに至ったことが認められる。

火災の程度と初期消火の限界

火災の

程度

炎、煙の状態

具体例

処置

煙のみで、炎が出ていない。

発炎箇所が確認できる。

発煙が小範囲に止まる。

配電盤、灰皿、屑物入れ、座席の一部、寝具等からの発煙。

・燃焼物の除去又は消火器の使用によって容易に消火できると考える。

炎は小さい。

発炎箇所が確認できる。

・配電盤、灰皿、屑物入れ、座席の一部、手荷物の一部等から炎が出る。

・炎の高さは、腰板の程度

・第1到着者の消火器使用により、消火可能と考える。

炎は大きい。

発炎箇所が確認できる。

・炎の高さが窓上に達し網棚上の手荷物等に燃え移る。

・第1到着者及び後続者の消火器の複数使用により消火可能と考える。

炎が非常に大きく成長した。

・座席背摺、内張り側板網棚上の手荷物等も燃える。天井に火が燃え移る。

初期消火は困難である。

炎が室内全体に充満した場合

・いわゆるフラッシュオーバーの状態。

発煙、発炎量が多く危険で接近できない。

・室内に濃煙がたち込めている。

・他車両への煙の侵入の恐れがある。

備考:(1) 車載されている消火器の性能

・ 蓄圧式8l型、強化液消火器

・ 棒状放射距離は8mで継続放射 40秒

・ 霧状放射距離は6mで 〃   20秒

(2) (Ⅰ)~(Ⅲ)については、炎の成長とともに煙も濃厚となってくる。できるだけ接近して、消火器を使用しないと有効でない。

(二) 被告人両名の受けてきた列車火災に対する指導、訓練の状況

(1) 被告人石川

《証拠省略》によれば、以下の事実を認めることができる。

車掌資格を取得するには、二年間以上の実務経験を経たのち、選考試験を受けて鉄道学園へ入学し、そこで約二か月半の教育を受け、ついで、各車掌区での約一か月間の見習配属期間を終えて、車掌試験に合格することを必要とし、専務車掌は、車掌職を数年間以上経験した者のなかから登用されていくものであったが、右鉄道学園での運転事故防止に関する研修時間は六時間程度で、そのなかでは列車火災を想定した訓練及び消火器の取扱い方の指導はいずれも行われていなかった。

車掌資格を取得した者に対する業務全般についての指導、訓練は、専ら各所属の車掌区で行われ、被告人石川も所属の新鉄局新潟車掌区において年間一〇時間程度を受けていたが、そのうち、運転事故防止に関するものとしては、区長及び助役による専務車掌、車掌、乗務指導掛及び乗務掛を対象とした集団指導、添乗などの個人指導、書面、通達などの指導の三種類が実施され、そこでは、年二回、異常時の実地訓練も四〇名前後のグループに分けて行われていた。右異常時の実地訓練は、大別すると、基本訓練と想定訓練とに別れ、基本訓練においては、列車監視方法、携帯電話機の装着方法、消火器の取扱い方法、車両の切離方法など基礎的事項の個個的な指導、訓練が、また、想定訓練においては、踏切事故、脱線事故、火災事故など一定の事故を想定し、これに対する処置方法の総合的な指導、訓練が行われていた。なお、前記認定のように、新鉄局新潟車掌区では、昭和三九年ころに「異常時の取扱」と題する小冊子を管内の従事員に配付していたが、右指導、訓練の際にもこれを携帯するよう指示し、その内容を習熟させるように努めていた。しかしながら、火災事故に関する指導、訓練においては、前記のような、国鉄全体の火災に対する知識不足が反映して、その指導内容も形式的なものとなり、車両の燃焼による煙の発生、消火器の効能、その他消火作業から火災車両の切離に移行する基準となる初期消火の限界に関しても具体的な判断基準を教示することはなく、また、消火器の取扱い方に関しても、ごく一部の者による試射のみで、あとは殆ど口頭の説明に終始し、右試射においても、実際に火源に向かって放射するようなことは一度もなかった。また、車両の切離訓練も気動車を対象とした口頭説明と、受講者代表による実地訓練にすぎなかった。このようなことから、被告人石川としては、火災の性状に対する特別の知識、消火器の効能さらには初期消火の限界など火災鎮火の可能性の判断に際して必要と考えられる諸事項の習得は決して充分なものではなく、消火器の放射経験すら一度もなかった。

(2) 被告人辻

《証拠省略》によれば、以下の事実を認めることができる。

電気機関士の資格を取得するには、選考試験を受けて鉄道学園電気機関士科へ入学し、同学園で五か月間の研修を受け、同学園卒業後、約三か月間、見習期間として教導担当機関士とともに列車に乗務したうえで電気機関士登用実務試験に合格することを必要としたが、右鉄道学園での研修は、機関車の構造、運転理論及び運転法規等の講義、実習を主なものとし、見習期間中の指導も列車運行上の基礎的事項の習熟を主目的としていたため、列車火災、その他異常時における具体的な処置手順に関する指導、訓練は、主に各所属の運転所での指導にゆだねられていた。

被告人辻の所属する金鉄局金沢運転所での指導、訓練は、運転指導課長、指導助役及び指導機関士らにより、機関士及び機関助士を対象として、毎月、勤務時間内及び時間外に各二時間ずつ、合計四時間実施され、基本訓練及び異常時訓練が机上あるいは実地で行われていた。列車火災事故についても、従前から、全般的、あるいは、列車防護、通報、連絡等の個別事項ごとの指導、訓練が行われており、前記のように、管内の従事員に配付した「列車火災処置手順」の内容についても一通りの説明をしていたが、新潟車掌区の場合と同様、指導担当者自身火災に対する知識が充分でなかったことから、火災の性状や消火器の効能、初期消火の限界などについての説明は殆ど行われず、消火器の取扱い方についても、口頭による説明か、受講者の代表がこれを試射するという程度にとどまっていた。従って、この程度の指導、訓練を受けていたにすぎない被告人辻も、火災の性状に対する特別な知識、消火器の効能、さらには初期消火の限界など火災鎮火の可能性の判断に際して必要と考えられる諸事項の習得は決して充分なものでなく、消火器の放射経験すら一度もなかった。

2  被告人両名が鎮火の能否を判断するにあたって現に認識し、あるいは認識、推測できた火災に関する状況

これまでの認定事実を総合すると、以下のとおり認めることができる。

(一) 被告人石川の認識していた事実

(イ) 出火場所は喫煙室で、同室内では多量の発煙が継続し、そのため同室内の燃焼状況の確認は困難であったこと

(ロ) 喫煙室内のコの字型長椅子下床面には、電気暖房器及び蒸気暖房用放熱管が設置されていたこと

(ハ) 右長椅子の方に向けて、消火器一本を放射し、水二〇ないし三〇リットルをかけても発煙は一向に衰えなかったこと

(ニ) 喫煙室の台車下付近には異常が認められなかったこと

(ホ) 各車両に消火器が搭載され、食堂車には調理用水が貯蔵されていたこと

(ヘ) 消火作業に従事できる乗務員数人が食堂車付近に集合し、同車内には食堂車従業員がいたこと

(二) 被告人辻の認識していた事実

(イ) 食堂車の食堂部分は乳白色のもやがかかったように煙が漂っていたこと

(ロ) 食堂車後部には多量の発煙が継続しており、発煙箇所へは容易に踏み込める状況になかったが、二号車前部デッキには消火器数本が散乱していたこと

(ハ) 専務車掌に、出火場所、鎮火の見通しについて質問したが、確答を得られなかったこと

(ニ) 各車両ごとに消火器が搭載されていたこと

(ホ) 消火作業に従事できる数人の乗務員が食堂車付近に集合し、同車調理室には食堂車男子従業員がいたこと

(三) 被告人両名において認識し、これに基づき推測することのできた火災状況

(イ) 火災発見の当初には、喫煙室内のコの字型長椅子下蹴込み板の小孔から炎が数条吹き出していたことから、出火場所は、同椅子下付近であると推測すること

(ロ) 右長椅子下床面に設置されている電気暖房器、もしくは、蒸気暖房用放熱管が出火に何がしかの原因を与えているのではないかと推測すること

3  鎮火困難と判断したことの相当性

右のような、被告人両名が火災鎮火の能否を判断するにあたって認識していた事実及び認識、推測することのできた事実を総合して検討すると、火災車両の切離、孤立による事故回避措置を主導的に選択した被告人辻が、被告人石川と充分に協議し、さらには食堂車従業員から事情を聞くなどすれば容易に認識できた出火場所や、それまで行われてきた消火作業の程度、その効果など、火災鎮火の能否に重要な影響を与える諸事実についての確認をしないまま鎮火困難との判断を下したことは明らかであり、火災状況の把握、認識が完全でなかったことは否定できない。これに対し、被告人辻の弁護人は、被告人両名が事後の措置について協議をした際、既に消火作業にあたり、火災鎮火の能否について、より適切な判断のできる立場にあったと思われる被告人石川が、被告人辻からの出火場所や火災鎮火の見通しに対する質問に考え込むだけで何ら明確な返答をしなかったことを、被告人辻の右判断を正当化する一事由としてあげているが、確かに、本件のような緊急措置を必要とする異常事態下において、旅客室内の保安について第一次的な責任をもつ専務車掌が火災を発見、連絡し、しかも、既に消火作業にもあたっていた場合、機関士は、専務車掌の鎮火の能否に関する判断を信頼し、その判断のみに基づいて事後の措置を選択することが許される場合も考えられるが、被告人石川は、被告人辻の質問に対して不明瞭な態度に終始し、最後まで明確な判断を示さなかったものであるから、そこには、鎮火の能否についての信頼すべき判断の存在という前提がなく、これを鎮火困難と判断するについての大きな要因とすることは相当ではない。また、被告人辻からの食堂車切離の主張に同調した被告人石川についても、出火場所など鎮火の能否を判断するうえで重要な事実についての確認が充分でなかったことは否定できないところである。

しかしながら、被告人両名が認識し、さら認識、推測できた事実を考慮に入れても、以下に述べるように、当時の火災状況及び火災に対する指導、訓練の内容などからして、被告人両名において、火災鎮火への確実な見通しをたてたうえ、鎮火の方法による事故回避措置を選択し、徹底した消火作業を行うことは困難であったというべきである。即ち、

(イ) 本件火災は、出火原因及び燃焼規模を確知できないもので、周辺の可燃物量なども把握できなかったところ、喫煙室内に充満する煙のため、燃焼箇所へ的確に消火液や水を投下することは困難であり、しかも、他に強力な消火設備もなかったため、消火液や水を燃焼箇所周辺へ時間をかけて投下するという非効率的な消火方法に拠らざるをえなかったことからすると、これによっては、その場で鎮火への確実な見通しをたてるのは困難であったこと(前記認定のように、国鉄が、本件事故後に初期消火の限界についての検討を始めた当初においては、消火器四、五本程度を初期消火の目処としていたものであるが、前記のような非効率的な消火方法で、消火器四、五本程度を放射したぐらいでは格別の効果は期待できず、鎮火への見通しを持つこともできなかったと推認される。)

(ロ) 被告人石川は、食堂車従業員とともに消火器一本を放射し、水二〇ないし三〇リットルを投下したが、これによっても喫煙室内の発煙は全く衰えず、火源も確認できなかったことからすると、消火作業を継続することによる効果には懐疑的にならざるをえなかったこと(右のように、本件事故後に国鉄が提示した初期消火の限界が消火器四、五本であり、また、前掲証人細江の当公判廷における供述によれば、機関士、糸魚川機関区助役等を経て、昭和四六年から金鉄局運転部機関車課乗務員係長の地位にあった同証人は、個人的には消火器二、三本が初期消火の限界と考えていたことが認められ、被告人石川が、右の消火作業によっても一向に効果を挙げることができなかったため、以後の消火作業の継続に消極的になることも止むをえなかったものと認められる。)

(ハ) 喫煙室内の発煙量は、被告人両名がこれまでの指導、訓練で得ていた火災に関する知識の程度をはるかに超え、しかも消火器の取扱い方、効能に関する指導、訓練は前記認定のとおりであったことから、一機関士、あるいは一専務車掌として鎮火の能否を的確に判断できる限界を超えており、加えて、このような発煙状況は、ある程度火災時の処置方について訓練を受けていた者に対してさえも心理的威圧感を与え、消火作業の遂行、鎮火への期待に悲観的に作用すること

これらの諸点を総合して考えると、前記認定のとおり、停止場所が長大トンネル内であることから、当然鎮火不能の場合に備えて列車切離の手順も考えねばならず、人的、時間的に無制限に鎮火に向けての消火作業にのみ専念することはできないもので、被告人両名が、鎮火困難と考え、徹底した消火作業をしないで食堂車の切離に移行したことも止むを得なかったとの結論に至るのである

これに対し、検察官は、被告人辻は、鎮火の能否につきその判断を誤ったとしながらも、その一方で、同被告人の49・4・27付検察官調書(第八項)を根拠に、同被告人は、二号車前部デッキから喫煙室内を見た際には鎮火可能と認識していたにもかかわらず、消火活動をしなかったことを反省している旨主張する。しかしながら、同調書の供述内容は、「二号車の前寄りデッキから喫煙室の中を見た時の状況から考えると消火活動ができないという状況ではなかった。喫煙室の中が火だるまになっていて近寄れない状況とか、あるいは、そこまでいかなくても、二号車のデッキまで炎が吹き出しているとか、そういう状況はなく、二号車のデッキから消火活動をしようとすればできた状況である。また、切離にかかった時から以後も、当然消火活動ができないような状況ではなかった。私は、実際に切離をしている時、二、三号車間の通路部分で何かゴトゴト音がしていたので、誰かが消火活動をしているのだと思っていた。」というもので、もし、仮に、そこで供述されている「消火活動」というものが、単に火災の拡大、延焼を防止することだけに止まらず、火災を鎮火することまでも意味していたとするならば、同被告人の選択した食堂車の切離措置は、金鉄局が定めていた前記処置手順に明白に違背するもので、捜査段階から一貫して自己の取ってきた措置の正当性を強く主張していた同被告人の立場を完全に覆すこととなり、同被告人としては、当然この点に関する説明、弁解があってしかるべきはずであるにもかかわらず、同調書中には、この矛盾点について全く触れていない。しかも、同調書の第六項では、被告人石川と事後の措置について協議している際、食堂車後部車輪二軸目あたりの食堂車の窓と台車の中間あたりの外壁に赤黒い炎を見付け、車内はもっと燃えているのではないかと推測し、食堂車を切離する考えを固めていった旨供述しており、この供述と先に引用した「切離にかかった時から以後も、当然消火活動ができない状況ではなかった。」との供述は、その「消火活動」を火災鎮火を目的としたものと理解する限り全く相反したものとなる。このような点からすると、同調書中で供述されている「消火活動」は、鎮火を目的としたものとまでは考えられず、むしろ、それによる火災の拡大、延焼の防止を目的とした消火活動を意味したものと理解するのが相当であり、右供述から、同被告人が、当時、火災鎮火の見通しを持っていたとか、あるいは持つことができたと判断することはいずれも相当でない。また、検察官は、第一次切離が開始された当時食堂車付近に集合していた広瀬(49・4・20付)、伊藤(49・4・21付)、阿部(49・4・19付)の各列車乗務員及び佐藤(49・4・3付)、牛膓(49・4・2付)の各公安職員の各検察官調書並びに田沢コック長、火災発見者である乗客岩崎の前掲各供述部分をあげ、これらの者が、第一次切離の時点において、火災の程度は大したことがなく鎮火は可能であると考えていた旨主張する。しかし、右各関係者の供述を検討してみると、阿部乗務掛及び佐藤公安班長の両名は、消火作業はおろか喫煙室内の発煙状況さえも現認していないものであり、また、牛膓公安員及び乗客の岩崎も喫煙室内の発煙状況等を一瞥しただけで何ら消火作業に関与しておらず、鎮火の能否に関する供述内容も極めて感覚的なものであって、いずれもその証拠価値は低いものと言わざるをえない。田沢コック長は、前記供述部分において、洗い罐等による消火作業を中止し、食堂車通路に退避した時点では、火はまだそんなに大きくなるとは思っていなかった旨、また、検察官の、「そのうち消えるだろうくらいに思っていたのですか。」との尋問に対し、「はい、そうです。」と答えているものの、消火作業を中止した理由については、喫煙室から食堂内に煙が流出してきたためである旨供述しており、しかも、同人は、食堂営業の責任者という地位にありながら、その後一切消火作業を再開しようとしていないことに照らせば、果して、同人が、どの程度の責任感をもって火災に対する状況判断を下していたかは極めて疑問である。さらに、一応喫煙室内の発煙状況を現認し、消火作業を行った広瀬乗務指導掛及びこれを行おうとした伊藤乗務掛に関し、検察官が掲げている前記検察官調書の内容は、いずれも、第一次切離の際に消火活動をしなかったのは切離作業に集中してしまったためであり、消火作業はこれをしようと思えばできたというものであるが、そこで供述されているところの消火作業は、被告人辻の前掲49・4・27付検察官調書中において供述されている「消火活動」と同様に、鎮火の可能性を見通したうえでの消火作業ということまで意味していたとは理解しにくいものである。従って、各列車乗務員や公安職員らの供述からも、喫煙室内の火災状況が早期に鎮火の見通しを持つことができる程度のものであったと認めることは妥当とはいえないのである。

以上のことから、被告人両名が事後の措置について協議し、その結果、火災の鎮火は困難と判断するにあたって、協議の不徹底、火災の状況確認に不充分な点のあったことは認められるものの、仮に、その協議、確認を充分に尽していたとしても、被告人両名が、早期に鎮火への確実な見通しをたて、そのための消火作業に専念することは極めて困難であったと認められ、これを被告人両名に対する注意義務として要求することはできず、結局、被告人両名が、トンネル内に停止した状態での消火作業を前記認定の程度にとどめ、食堂車の切離作業に移行した点についても、これを被告人両名の過失と認めることはできないところである。

五  被告人石川の強調、説得義務の存否について

前記認定のように、機関士と専務車掌の間には、その職務権限上、指揮、命令の関係はなく、前記国鉄就業規則や「安全の確保に関する規程」などに、安全の確保、あるいは異常事態の回避にあたっては、職責を超えて一致協力すべき義務のあることが定められていたが、この一致協力すべき義務とは、前記のように、列車の運転という業務が高度に分業化された協同作業となっているところから、その安全は、通常、各分野を担当する従事員が、それぞれの分担業務を定められた規程に従い忠実に遂行することによって確保されるものであるが、一度、異常事態等が発生したときには、その職域にとらわれることなく、相互に協力しあって危険の回避、あるいは、事故の収拾に努めるべきであるという協同作業者として要求される当然の義務を明示したものにすぎない。そして、この一致協力義務が右のような趣旨に基づくものである以上、安全の確保等にあたって各従事員の協同作業を不可欠とする場合、適正な措置を選択、遂行している一方は、措置判断を誤っている他方に対し、適正な措置を講ずるように強調し、説得すべきことが右注意義務の内容として含まれているといわなければならない。

ところで、被告人石川は、前記認定のとおり、台車下を点検した時点で、一、二号車の乗客を四号車以前の車両に移したうえ、四号車以前への延焼を防止しつつ、そのまま列車をトンネル外まで走行させることを漠然と考え、ついで、被告人辻との協議の結果、二号車、食堂車間を切離し、食堂車を最後部として、延焼を防止しながら列車をトンネル外まで走行させる措置を考えたものであるが、前者の方法による列車の走行再開に関しては、これまでの認定事実からして、午前一時二五分前後ころよりさらに数分後の間に乗客の移動を完了して列車の走行を再開することができれば、本件結果の回避に有効な一方法であったといえるが、この方法は、これまで述べてきたとおり、当時の処置手順や指導訓練の内容からは逸脱し、また、本件の事故状況における臨機の措置としても許容できなかったものであり、同被告人における右方法の選択が合理的な根拠に基づいていたものでもなかった以上、処置手順等を遵守し、当時の乗務員に期待される適正な措置を選択していたと認められる被告人辻に対し、前記のような意味での強調、説得義務を問題とする余地はないものである。また、火災車両を最後部として走行脱出する措置に関しては、前記認定のとおり、第一次切離の完了は午前一時三四分ころであり、同時点は、証拠上明らかなトンネル内から無事脱出できる走行開始最終時点を既に過ぎていたものであることからすると、右措置は、も早、適切な事故回避措置であったとはいえないこととなり、これを被告人辻に強調、説得すべき義務を論じる余地もない。従って、被告人石川が考えた各措置を被告人辻に強調、説得しなかったことをもって被告人石川の過失と認めることはできないところである。

六  結語

以上説示のとおり、消火作業については、午前一時二五分前後ころまでに、また、列車の走行再開によるトンネルからの脱出については、さらにその数分後までの間に、そのいずれかの措置をとることによって本件結果の発生を回避することができたものと考えられるのであるが、本件火災の状況、消火施設、当時の各種保安規程、列車の運転に関係する従事員の受けてきた指導、訓練の内容に照らすと、被告人両名が火災車両の切離に掛り切り、そのため、火災車両連結のまま列車をトンネル外へ走行させ、あるいは、走行させながら消火作業を継続すること、もしくは、列車を停止したままで徹底した消火作業を行うことのいずれの措置をもとらなかったことをもって被告人両名に対する注意義務違反と認めることはできず、従って、被告人石川が、被告人辻に対し、列車の走行再開を強調、説得しなかったことについても被告人石川の注意義務違反とはいえないところで、結局、いずれの点からしても、被告人両名に対し、その過失責任を問うことはできないものである。

よって、本件は犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条に則り、被告人両名に対し無罪の言渡しをすることとする。

第四公訴権濫用の主張に対する判断

一  被告人辻の弁護人は、本件公訴の提起は、公訴権を濫用してなされたものであるから、公訴棄却の裁判を求めると主張し、その理由として述べるところは大略次のとおりである。

1  本件公訴の提起は、犯罪の嫌疑がないもの、もしくは、不充分なものについてなされたものである。

(一) 検察官は、本件につき出火原因ないし消火の能否、列車火災時における乗務員の行動基準、き電停止の原因等について充分立証できるだけの証拠も無く、過失の存否も明らかでないことが明白であるにもかかわらず、結果の重大性に起因する社会的反響を沈静させる意図で起訴をなして、その判断を裁判所にゆだねたものではないかと推認される節が窺え、嫌疑不充分なものの起訴である。

(二) 本件は刑事上の責任を追及するに親しまないいわゆるシステム災害としての特性を有するものであり、被告人らの行動能力を超える次元で発生したものであるから、末端従事員である被告人辻に結果発生の責任を問うことはできないものである。

2  本件起訴は、訴追の必要性の有無につき著しく裁量を誤ったものである。

即ち、本件災害発生後運輸行政の最高責任者である運輸大臣は、被告人辻の本件災害に際しての行動を賞賛しているにもかかわらず、同じ内閣の閣僚である法務大臣の指揮下にある検察官が過失ありとして起訴したものであり、検察官は本件につき訴追の必要性の有無につき著しく裁量を誤ったものである。

二  当裁判所の判断

1  犯罪の嫌疑がないもの、もしくは、不充分なものを起訴したとの主張について

当裁判所は、犯罪の嫌疑をもって訴訟条件とは解さず、犯罪の嫌疑がないか、もしくは、不充分であるにもかかわらず検察官が公訴の提起をなした場合、これを公訴提起の手続に違反してなされたものとして刑事訴訟法三三八条四号により公訴棄却の裁判をなすべきであるとの弁護人の主張は採らないところである。けだし、まずこれを訴訟条件と解するときは、実体審理に先立って犯罪の嫌疑の有無についての心証を形成するための審理をしなければならないことになるところ、これらの資料の多くは大抵の場合有罪、無罪の心証を得るための証拠とも共通するから、結局重複審理を認めることになり、迅速な裁判の要請にもとり、このように二重構造の審理を認めると予断排除の原則にも反することになるからである。従って、刑事訴訟法は、犯罪の嫌疑をもって訴訟条件とは考えず、犯罪の嫌疑の有無の審理と有罪無罪の審理を分別せずに諸般の証拠調べを行った結果、犯罪の嫌疑があるとの心証に到達することができない場合には、それはとりもなおさず有罪の確信を得ることができない場合にほかならないから、端的に既判力を有する無罪の判決をなすべきものと解するところである。

2  訴追の必要性の有無について著しく裁量を誤ったものであるとの主張について

刑事訴訟法は、起訴便宜主義を採用し、起訴、不起訴の決定権を検察官の裁量にゆだねているものであるが、もとより、右裁量については全くの恣意が許されるものではなく、起訴猶予を相当とすべき明白な事情が存するにもかかわらず、ことさら起訴するなどその逸脱の程度が顕著であって、これを許容することが明らかに正義に反するような場合には、公訴権を濫用してなされた違法な起訴として刑事訴訟法三三八条四号により、これを棄却すべきものと解する。しかし、本件は、多数回にわたって審理を重ねてきたもので、その結果明らかになった一切の事情からすれば、本件公訴提起が検察官の合理的な裁量権の範囲を著しく逸脱したものとは到底認めることはできない。

よって、弁護人の公訴権濫用の主張はいずれの点からしても採用することができないところである。

(裁判長裁判官 宮本増 裁判官 池田美代子 裁判官 光前幸一)

<以下省略>

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